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第二次大戦後、帝国主義の国々から植民地が独立していくときには、「民族主義」と「社会主義」は結構流行りましたし、これからはこの二つを柱に国をやっていくんだ!と意気込んだアジアやアフリカの国はたくさんありました。
エジプトでも、一九五二年に王政を打倒し、帝国主義と闘ったナセルは、アラブ民族主義の英雄と称えられました。しかし、結局のところ、「民族主義」というのは残酷なもので、必ずその国のなかのマイノリティを差別し抑圧する結果をもたらします。
社会主義にいたっては、盟主のソ連をみれば明らかなように、権力構造がちっとも民主的にはならず、党幹部が権力を独占して腐敗し自ら崩壊してしまいました。
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民族は、一つの指標として言語を取り上げれば、古くから同じ言語を共有する集団であったといえます。イスラームは七世紀にできたので、それより古い言語集団ならいくらでもあります。
しかし、同じ言語を共有しているからといって、それを単位に国家をつくるという発想は、ずっと後の十九世紀ぐらいになってから確立されるものです。
民族を単位として国家をつくるべきだという民族主義が国家建設の基になるのは、国家というものが、同じ民族にもとづく国民から成り立ち、彼らが住んでいる領域をもち、その国家に最高の意思決定権、つまり主権があるのだという共通理解が成り立つようになってからです。
民族主義という新しいアイディアは、ヨーロッパをこまごまとした国家に分割しました。 同時に、ヨーロッパから出て行ってアフリカ、中東、アジア、ラテンアメリカなどを支配して領土を拡大し、経済のもとになる資源を奪い取る一大潮流を生み出します。これが帝国主義ですが、言ってみれば、自分たちの国家が生き延びるために、自分たちの民族が繁栄するために、弱い劣った民族は支配されても当然だという傲慢な発想が原点にあります。
~中略~
一連の中東民主化運動の結果、次々と、こういう民族主義の負の遺産というべきリーダーたちが退陣に追い込まれていきました。
中東・イスラーム世界の今後を考えると、次にまた、民族主義にもとづく支配体制ができると、同じことの繰り返しになってしまいます。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
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