中国の資源確保に対する取り組みは、尋常ではありません。
胡錦濤、温家宝、両首脳も温和な顔をしていますが、その政策は強硬、タカ派そのものです(彼らの意志かどうかはわかりませんが)。
中国のトップは理科系出身者が多く、極めて合理的な決断をするケースが多いのです。
あれだけの大きな国ですから、発展し続けるためには資源確保は絶対条件です。
しかしその底流には、中華思想というか、中国が覇権を握るにはどうすべきか?という根本概念が見えるのです。
そしてそのためには手段を選ばないという姿勢です。これらの強硬な態度は、胡錦濤、温家宝をはじめとする今の指導者の政策というよりは、中国4000年の歴史と言いましょうか、中国という国家の持つ歴史的な覇権志向が表れている感じです。
朝倉 慶 (著)
2011年 本当の危機が始まる!
幻冬舎 (2002/10)
P74
台湾の李登輝さんが言うように、中国とは「美人を見たら自分の妻だと主張する国」なのです。(「文芸春秋」二〇一一年二月号)。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P12
中国における革命の歴史はは、漢の高祖から毛沢東にいたるまで流民がそれを動かしている。
飢餓もしくは戦乱のために農民が村を空にして流動し、しだいにその数がふえて何万、何十万にふくれあがるうちに英雄的な統御者を見つけ出し、各集団がそういう者の指揮下にうごいてだがいに攻伐し、ついにはその大いなる集団が王朝を倒すにいたる。
日本の農村の生産条件からいって、古来、中国のような大規模な流民が発生することがなく、従ってこの集団が世の中をかえたという例はない。
ただわずかに中国における流民の集団に似ているという点で唯一といっていい例が、幕末における水戸天狗党といわれている集団である。
街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P236
民族というものは、とくに弱小な民族にとっては、その民族がかって出した統一の英雄に対し、その人物の事業の侵略性うんぬんはともかく、その英雄の名前に花輪を捧げることによって民族的結束を強めたいという願いがある。
中国の毛沢東は、秦ノ始皇帝という、われわれ多民族がみれば暴慢な侵略王としか映らなかった人物を称揚している。なるほど称揚されてみれば、秦ノ始皇帝というのは、上古以来分裂の状態にあった漢民族の世界を大統一したという、歴史の劃期をつくった人物なのである。
~中略~
毛沢東が始皇帝を称揚するのは、ともすれば分裂しがちな漢民族世界を強固に統一してゆこうという政治的意図が多分にあるのであろう。しかし秦ノ始皇帝がもしぞんざいしなければ中国大陸の政治習慣のなかに統一ということがなかったかもしれない、という想像は十分正当性をもっている。
「この大陸は、統一しうるものだ」
という気分が、人心のなかにおこった。秦が衰弱したとき、官営土木に駆り出されていて土工の一人が仲間を扇動して、
「王侯将相というものは種(しゅ)がないんだ。たれでもなれるのだ」
といった。この昂然たる気分は、統一志向の人心のあらわれともいえるだろうし、この気分のなかから漢帝国がうまれ、それが隋唐帝国へつづくといえるかもしれない。
もし漢民族が、秦ノ始皇帝という統一の成功者をもたなかったならば、ヨーロッパ大陸において諸国が方言によって国境を分かっているように、分裂が常態ということになったかもしれず、こう考えることは、遊びとしては十分楽しい。
街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
PP216
最初に銘記すべきことは、道教は、その正統な後継者禅道と同じように、南方中国精神の個人主義的傾向を表わしていて、儒教の姿で現れている北方中国の共産主義と対蹠的(たいしょうてき)である。
中国の広さはヨーロッパと等しく、それを横断する二大河川系によって区分された、気質の相違を生んでいる。
揚子江と黄河は、地中海とバルト海に匹敵する。今日なお、統合の世紀にもかかわらず、南方中国人と北方の同胞との思想、信仰の違いは、ラテン民族とチュートン民族の違いに等しい。
茶の本
岡倉 天心 (著),桶谷 秀昭 (翻訳)
講談社 (1994/8/10)
P38
P43
近代以前に中国を狙った勢力は、塞外(さいがい)(万里の長城の北側)から南下するのを常とした。
その背後に位置している日本は、中国にとって侵攻勢力にたいする防壁とはならない。役に立たなかったのである。
また中国を席巻(せっけん)した勢力は、その広大な国土の治安維持と経営とにエネルギーをつかいはたして、海を渡ってまで日本を襲おうという気をおこさなかった。
例外が蒙古の「元」であった。異常なエネルギーの異常な氾濫であって、むしろ天災というべきであろう。人力を主たるエネルギーとした時代には、中国大陸からの日本侵攻は、常識的にはありえないとみてよい。
そんなヒマがあるなら、海南島や雲南(インドシナ半島の北に位置する高原地帯)でも開発するほうが、よほど実際的でもあったし、気がきいていた。
P46
中国には伝統的に、「外のもの」にあまり興味をしめさないというクセがあった。
十九世紀半ばのアヘン戦争で、むりやり「開眼(かいげん)」されるまで、中国は原則として、外国というものの存在を認めなかった。
中華そのものが世界である。だから、外国という観念はどこへも割り込めない。
おのれの文明、すなわち世界の文明なのだ。文明の中心から遠ざかれば遠ざかるほど、文明の内容が水っぽくなり、人びとは粗雑になり、野蛮になると信じたのである。属邦、朝貢国、そして文明の洗礼を受けていない蛮夷な国などが意識されるが、それを「外国」ということばで呼んでも、過去の中国人はピンと来なかった。
それらの土地に、かりに文明があるとしても、それは中華文明の希薄な段階のものと考え、「別種の文明」であるとはゆめにも思わない。
日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)

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