二〇一八年の八月に、オリバー・ストーンというアメリカの映画監督が広島で講演しました。そのときに彼はあっさりと「日本はアメリカの衛星国(satelite state)でり、属国(Client state)である」と話しました。僕はその映像を見て、強い衝撃を受けました。
オリバー・ストーンはこう言いました。「日本の映画は素晴らしい。日本の食文化もすばらしい。文物はどれも素晴らしい。でも、この国には政治がない。この国にはかって国際社会に向かって、「私たちはこのような理想的な世界を作りたい」という理想を語った政治家が一人もいない。日本は何も代表していない(dosen't stand for anything)そう言い切ったのです。
アメリカを代表するリベラル派の知識人が、日本は「属国」で「衛星国」で、「国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何も持っていない国である」とごくふつうに、淡々と述べた。別に口角泡を飛ばして主張したわけではありません。まるで「そこには海があります」というように、ただの客観的事実として、誰一人反論する人がいるはずもないかのように述べたことは僕は衝撃を受けたのでした。
そうか、それがアメリカから見た日本の実像なのか。アメリカ人は日本のことを主権国家だと思っていない。
でも、日本人は日本のことを主権国家だと思っている。その認識の落差に僕は愕然としたのです。 事実、日本のメディアはこの発言を一行も報道しませんでした。「オリバー・ストーン監督、広島で講演」という記事は出ました。でも、その内容については何もコメントしなかった。
仮にも広島での核廃絶を願う公開の集会で日本はアメリカの「衛星国」「「従属国」だと発言したのです。そう思うならそのまま報道すればいいし、そう思わないなら「ふざけたことを言うな」と反論すればいい。でも、日本のメディアはどちらもしなかった。国家主権にかかわる話が出ると、自動的に耳を塞ぎ、目をつぶるのが習性となった動物のように自然に無視した。
日本がアメリカの「衛星国」「従属国」であるというオリバー・ストーンの指摘は間違っていないと僕は思います。まずはそこから話を始めるべきなのです。実際に敗戦後の日本人は現実を受け容れ、その現実の上に立って、主権回復・国土回復という気の遠くなるように時間のかかる政治課題に取り組んできた。その作業の前提にあったのは「日本はアメリカの従属国である」という現実認識でした。
ところが、いつのまにか日本人はこの現実認識そのものを捨ててしまった。そして、まるで主権国家であるかのようにふるまい始めた。米軍基地が国内にあるのは、まるで日本がそうであることを願っているからであるかのように思い始めた。
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P356
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- 作者: 内田 樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/06/10
- メディア: 文庫
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