人の一生遭う所には、険阻( けんそ )有り、坦夷有り、安流有り、驚瀾( らん )有り。
是れ気数の自然にして、竟( つい )に免るる能わず。即ち易理なり。
人は宜しく居って安んじ、玩( もてあそ )んで楽しむべし。
若し之を趨避( すうひ )せんとするは、達者の見に非ず。
「言志後録」第二五条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P97
人の人生は、道にたとえれば、険しいところもあり、平らかなところもある。
また水路にたとえれば、静かな流れもあり、激流もある。
これは自然の姿であってどうすることもできない。
つまり易でいうところの道理である。
だから、人は自分の居るところに安穏の場を求め、これを楽しめばよいのである。
これを走ったり、避けようとするのは、人生を楽しむ上での達人とはいえない。
東照宮遺訓
一、人の一生は、重きを背負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし。
一、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
一、堪忍は無事長久の基。
一、怒りを敵と思え。
一、勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
一、己を責めて、人と責めるな。
一、及ばざるは過ぎたるに勝れり。
人の世を渡るは行旅の如く然り。
途に険夷有り。
日に晴雨有りて、畢竟( ひっきょう )避くるを得ず。
只だ宜しく処に随( したが )い相( あい )緩急すべし。
速やかならんことを欲して以て災を取ること勿れ。
猶予して以って期に後るること勿れ。
是れ旅に処するの道にして、即ち世を渡るの道なり。
「言志後録」第七〇条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P110
丸山敏雄最後の言葉
急ぐな
先のことを心配するな
自然にまかせて処置をとれ
これでよい
喜べ
丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P7
。
自分は、何のためにこの世に生まれてきているのか、ということを考えたとき、私はこうおもっているんです。
「人生は遊行だ」
要するに、自分は、この世に遊びに来ているんだ、という観念でいるんです。だから、私にとっては、仕事も遊びです。人生すべてが遊びなんです。
遊びなんだから、おもしろくて、楽しくなくてはいけないんだ、と。じゃあ、どうしたら、面白くて楽しくなれるのか。そういうことを、いつも考えていたんです。
斎藤 一人 (著)
ツイてる!
角川書店 (2004/8/7)
P19
真に大志有る者は、克( よ )く小物を勤め、
七 曽子曰わく、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。
仁以て己れが任となす、亦( また )おもからずや。
死して後已( や )む、亦遠からずや。
~中略~
曽先生が言われた。 「士、つまり志をいだく男子は、堅固な意志をもたねばならぬ。その任務は重く、目的までの道程は遠いからだ。 仁徳の完成を自己の任務とするのだ、重くないとどうしていえよう。 仁の完成は死ぬまで努力しつづけて終わるのだ。その道程は遠くないとどうしていえよう」
~中略~
曽子が問題とした士の原義は、周代の列国つまり諸都市国家の自由民、つまり貴族階級の成年男子の通称であった。
~中略~
孔子の時代には、新興階級としての士の身分意識がまだはっきりしていなかったので、古い時代に編纂された「 論語 」のなかでは、孔子はおもに「 君子 」を理想人格として論じ、あまり士について論じていない。
曽子が士を問題にしているのは、時代が下がり、新興階級としての士の位置が明確になってきたからである。
~中略~
徳川家康は林羅山を用いて「 論語 」「 孟子 」「 大学 」「 中庸 」の四書の朱子新注の定本を印刷し、日本近世儒教の再興の基礎を作った。
家康の、「 人の人生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし・・・・ 」に始まる遺訓は、この「任重くして道遠し」の句から発想されたものである。
徳川時代における日本の近世武士道の形成にあたって、中国の古代における新興士階級の道徳を提唱した曽子の思想が影響をあたえたことはけっして偶然ではない。
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P217
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