P150
ホモは、歴史的にみて、どうも、少年愛から出発したらしい。オトナが少年を愛する。中国のふるいことばに、
「孌童(れんどう)」
というのがある。少年愛の対象として美少年ということである。童ということばが付いている。
となると、相手の少年は老いるのである。そのオトナたる者は他に少年をもとめねばならないから、ホモはむかしから愛のためにいそがしかった。
加賀藩に、藩祖前田利家(一五三八~九九)については「亜相公御夜話」という文献がある。
利家が十四歳で織田信長(一五三四~八二)につかえた翌年、少年の身ながら大きな武功をたてた。そのころ、かれはもはや「信長御秘蔵にて」という次第になっていた。が、利家が長ずると、信長は他の少年をもとめた。信長もいそがしかったのである。
ヨーロッパでもこの種の伝統に変わりがない。
~中略~
ソクラテスもプラトンもはなはだしくその傾向をもった人たちだったが、かれらがなぜ抽象的な仕事にうちこむことができたかについては、斎藤忍隨(にんずい)氏が「プラトン」(岩波新書)のなかで、おもしろい考えをのべている。
少年の美は持続しにくく、このため関係が長続きしないため、男色者はつぎつぎ新しい少年をさがさなければならなかったというのである。つまりホモというのはつねに不毛でもあり、具体的な実り(出産)も期待できない。。「この二重の不毛性が」と再投資は述べ、愛はやがて「抽象的なものへのエロースへと純化し、昇華するのである」と結論づけている。
P170
十二、三世紀ごろからの中国の海洋史は福建人の活躍でささえられた。かれらの福建の船乗りのなかで少年愛があったらしい。
しかしながら、かれら福建の船乗りたちも古代ギリシャ人と同様、少年愛だけで終始したのではなく、陸(おか)にもどれば妻をもっていて、子孫をつくっていたはずである。さらには、中国における少年愛は、ワデル博士のいうライフスタイルではありえない。
P171
「日本の場合」
ワデル博士は、いった。
「戦国時代は公認されていたそうですね」
そのとおりである。この一点でも日本は儒教の国ではない。
私は一七一六年に成立した武士道の倫理書に「葉隠」というほんがあることを博士にいった。
そのなかに、衆道(男色)の心得がかかれている、ともいった。
たとえば、生涯ただ一人の相手に愛をそそぐがよい、でなければ職業的男娼とおなじになってしまう、と「葉隠」では説くのである。
アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
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