宗盛はじめ平家一門は、この地眺望よく故ある所なりとて、御所造営にとりかかった。 里人は京都の御所になぞらえて、周囲に柳、梅、桃、李等を植え、幼帝をお慰め申し上げた。 ~中略~ 柳御所に天皇が滞在されたのは、源平盛衰記に七日としている。 「柳御所考」で佐野経彦は、いろいろな状勢から、皇居材せし程は、八月末より九月の末に到れると思われる、と推定している。
郷土門司の歴史 中山主膳 (著) 金山堂書店 (1988/06/01) P79
郷土門司の歴史
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