魯の哀公が、有若(ゆうじゃく)にたずねられた。
「ことしは不作で、財源が不足している。どうして補ったらよかろうか」
有若がかしこまっておこたえした。
「どうして十分の一をとる徹の税法になさらないのですか」
哀公がいわれた。
「十分の二の税を取り立てても、まだ不足しているのに、十分の一税法にしたらどうなるだろう」
有若はかしこまってこたえた。
「人民たちの生活が足りていれば、殿さまはいったいだれといっしょに足りないといわれるのですか。
人民たちの生活が足りないならば、殿さまはだれといっしょに足りるといわれるのですか」
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P334
<徹>周の税法で、農民の収穫の十分の一を取り立てる。「徹」は「通」で、天下に通ずる法だといわれる。
*国家の財源は、人民から取り立てているのだから、人民の生活を豊かにすれば、しぜんに財源がふえてくる。 有若の説く財政は、長期経済の立場に立って発言しているが、これが儒教の財政論の基本だといってもよかろう。
ただ目前の財政の不足を救う政策を持ち合わせていないのが問題だった。そこで書生論、学者の学説ということになってしまう。
[14] 伝へ聞く、いにしへの賢き御代には、あはれみをもちて、国を治め給ふ。
すなはち、殿に茅(かや)をふきても、軒(のき)をだにととのへず。煙のともしきを見給う時は、限りある貢物をさへゆるされき。
これ、民を恵み、世を助け給ふによりてなり。今の世の有様、昔になぞらへて知りぬべし。
方丈記 現代語訳付き
鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳)
角川学芸出版; 改版 (2010/11/25)
P24
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