私はアジア人の顔がすきなのだが、ちかごろ少壮の日本人には、どういうわけか、人格が顔つきに出ない無表情なのが多く、このニューヨークの街角でもそういう印象をうけた。
それに今ふうのエリート顔にアメ色の金属フレームのメガネを付属させると、顔が金属性の道具になったような感じがする。
私どもモンゴロイドの顔は、一説(たとえば人類学者・香原志勢(こうはらゆきなり)によると、最後の氷河期のシベリアでできたものだそうである。寒気をふせぐための厚ぼったいマブタ、できるだけ内部にひっこめた鼻、吸い込んだ寒気を温めるための大きな鼻腔。そのために広くなった顔の幅。この顔が、ゆたかな人格とすきとおった感情をもつとき、じつにいい顔つきになるのだが、自分自身の内部と無関係なしごとをするとき、サカナのように表情をうしなってしまう。
いわば、人の世にその顔を曝(さら)して歩くのに、固有の凹凸に頼りうる白人やアラブ人などにくらべて、むずかしい顔らしい。
アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P205
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