P10
一般向けのうつ病の書籍には、うつ病患者増加の理由について次のように説明していることが多い。
「バブル崩壊後の日本経済の停滞、終身雇用の終焉により社会不安が増大した。またグローバル競争の激化、ITの導入、非正規雇用の増加により労働者のストレスが増加した。こういった日本社会の変化を背景として、近年うつ病が増加している」
~中略~
しかし、このような環境要因が本当にうつ病患者増加の原因なのだろうか?実はそれほどきちんと検証されているわけではない。少なくとも自分が調べた範囲内で、しっかり検証している論文はない。
ある病気の患者数が6年間で二倍に増えるということは、医学的にはかなり稀な現象である。
P18
大衆化という言葉の中には、色々なニュアンスがある。数が増えたという意味もあるし、世間に受け容れられたという意味もある。
安易に診断され過ぎているという意味もあるだろう。
~中略~
日本書籍出版協会の調べによると、うつ病に関する本は一九九〇年から九五年までの五年間で二七冊発行されたが、九九年から二〇〇四年までの間では一七七冊にのぼる。わずか9年間で六倍以上の増加である。
二〇〇五年以降はさらなる「うつ病本」の出版ラッシュが進んでいる。
驚くほど急速にうつ病という概念が世の中に浸透しつつある。
P29
うつ病患者の急激な増加を一番肌で感じているのは、実は官公庁や大企業かもしれない。
うつ病という病気は、仕事への影響が非常に大きい病気である。医療経済学の視点から見れば、医療費よりも労働損失の方がはるかに大きい病気である。
~中略~
グラフが示すように、一九八一年から九六年までの一五年間において、国家公務員のメンタル休職率はほとんど変化していない。しかし一九九六年以降急激に増加に転じている。
一九九六年から二〇〇六年までの一〇年間で メンタル休職率は約六倍に増加している。
P45
実は精神科医にとって、九九年を境にとしてうつ病診療において何か大きな変化が起きたかと問われれば、それほど難しい質問ではない。ほとんどの精神科医は簡単に答えられるだろう。
~中略~
九九年は日本に初めてSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が導入された年なのである。
~中略~
実はSSRIが市場導入されると、うつ病患者やメンタル休職者が爆発的に増加するという現象は、日本以外の先進国で繰り返されてきた社会現象なのである。
P113
うつ病の啓発活動というのは、大手広告代理店と組んだビッグプロジェクトなのだ。
P140
坑うつ薬はうつ病の再発を防ぎ、うつ病の期間を短縮させる効果があると言われている。
坑うつ薬の再発予防効果から考えれば、坑うつ薬が普及している国は、うつ病にかかる人が減るはずだ。しかし現実は、坑うつ薬の普及した国ほど、過去一年間にうつ病にかかる人が多い。
P172
私の知っている限り、抗うつ薬の普及の速さと広がりにおいて、アイスランドは世界一である。国民の一四人に一人が坑うつ薬を処方されていることになる。これは同国の年間うつ病罹患率を超えている(再発予防のために継続的に坑うつ薬を服用している患者も多いので)。
P174
坑うつ薬を飲まずプラセボ(偽薬)を飲んだ人でも六週間で五割の人は改善する聞かされると、坑うつ薬に対する見方が変わってくる。
~中略~
最近は、うつ病患者の回復における坑うつ薬の果たす役割は、二〇%以下ではないかと唱える研究者いる。
~中略~
公表された論文では九四%の試験で坑うつ薬の優勢が認められたが、FDAが保有していた試験では五一%の試験しか坑うつ薬の優勢が認められなかった(約半分の試験では坑うつ薬はプラセボへの優位性を示すことができなかったということである)。
~中略~
出版バイアスに関しては、坑うつ薬だけの問題でなく、医学のあらゆる分野に広がる問題でもある。出版バイアスの問題は深刻であり、高血圧治療薬、抗がん剤、手術、あらゆる領域で報告されている。
出版バイアスの問題は、都合のよいことだけを伝え、不都合なことは隠すという、人間の陥りやすい性質に根ざしている。この問題は根深いのである。
P182
軽症うつ病には坑うつ薬がほとんど効果がない、という臨床試験の結果を重視して、軽症うつ病には最初から坑うつ薬を使わないように勧めている国もある。
~中略~
エビデンスに厳しい英国では、軽症うつ病の最初の治療には、リスクと利益の比率を考えると、坑うつ薬の有用性が認められないので坑うつ薬を勧めていないのだ。坑うつ薬には吐き気や便秘といった副作用がかなりの確立で伴うため、それを上回る効果がなければ積極的には勧められないのである。
では、どうやって英国では軽症うつ病に対して、坑うつ薬以外の治療法を勧めている。具体的には、自分でできるうつ病回復プログラム、軽い睡眠薬や軽いエクササイズやカウンセリング、休息を勧めている。
~中略~
日本ではほとんどの精神科医は軽いうつ病患者にも、例外なく薬物療法から始めている。
冨高 辰一郎 (著)
なぜうつ病の人が増えたのか
幻冬舎ルネッサンス (2009/7/10)
P014
みなさんは聞いたことがないでしょうが、抗精神病薬によって起ってくる中毒性精神病があります。
だから薬を増やすとどんどん悪くなる。~中略~
精神科医はちゃんと本を読んでいるから、抗精神病薬によって中毒性の精神病状態が起こって、どういう症状になるかはみんな知っています。
みんな知ってはいますけれども、非常に例が少ないので、今、自分の目の前にいるその患者に、そういうことが起こっているということは、なかなか分からない。
P030
老人の医療を、みなさんはいろんな科に行ってなさることになる。そこで薬物を使うこともあるし、身体疾患を診ることもあるだろうけど、老人の脳は、いろんな事柄に対してとても耐性が低いんですね。脳がすぐにやられるの。
やられるとはなにか。精神症状が出るわけ。それを覚えておいてください。それだけ覚えて帰れば、もう今日の講義の三分の一ぐらいの価値があります。
老人の脳はいろんなことでやられます。まず薬物がいちばん多いよね。他にも風邪をひいたとか、寝る部屋が変わったとか、そういうことでも脳が混乱して精神症状がが出るの。そして、それへ間違った治療がされると、めちゃめちゃになります。
その例として、今月の初め、ボクの診察を受けに来られた老人のことをお話ししましょう。
地元ではちょっと知られた企業の創業者で八四歳になられるおじいさんが車椅子に乗せられて、ぼけーっとした顔をして連れて来られました。~中略~
それで推理をしますと、こういうことになるの。そのお爺さんは何か月か前に軽いうつになったんだな。
うつになって、元気がなくなった。で、お医者さんに行ったら、ある抗うつ薬を少し出された。そうしたら、ご飯がいけなくなった。「そうしたら」とお医者さんが思えばよかったんだけど、思わなかった。どうもご飯がいけない。
その抗うつ薬は、若い人が飲んでもたまに食欲がなくなり、吐き気がしたりすることがある薬でした。
ところが、若い人ならたまにしか起らないことが、年寄りには非常にしばしば起こるの。
おそらく大まかに言って、数倍から一〇倍ぐらいの頻度で起こります。それで、食欲がなくなった。うつ病の症状としても食欲がなくなるから、「これはこの薬だけでは足らんのだろう」と、もう一つの抗うつ薬、スルピリドという食欲増進作用のある抗うつ薬は乗っけたの。
決してたくさん出されたわけじゃなくて、ごく少量出された。だkど年寄りは薬を飲むと、若い人の一〇分の一ぐらいでも副作用が出る。精神科でも食欲を増進しようと考えたら、まずスルピリドを使う。
食欲が落ちたので、これを出された。そしたら手が震えてきたの。パーキンソン症状が出た。これは若い人でもこの薬をたくさん使えば、しばしば起こってくる副作用です。老人は少量でも起こる。そこで、抗パーキンソン薬を足した。
薬を全部足していくわけ。これを出したらこの症状が出てきたので、またこれを足す、とやっていく。
ところが、その抗パーキンソン薬で幻覚・妄想が出てきた。~中略~
それで、ボクの診察を受けに来られたときには何をしておられたかと言うと、老人ホームのショート・ステイにお昼間預けられて、そこで認知症の老人たちと一緒に風船バレーボールをしておられた。
風船バレーボールっていうのは、膨らました風船を、車椅子に座ってみんなでポン、ポンと打つ。ボケた人には活動性、意欲を引き出すのにいいというので、それをやっておられた。
こういうストーリーだとボクは読めたので、「この薬を全部やめましょう」と言って、やめたんです。やめて、「二日後に来てください」と言って、二日経って来られたときは、もう目がしゃんと開いて、話ができるようになっていました。薬をやめれば、排泄されて二日ぐらいですーっとよくなるの。~中略~
そこで、ボクは漢方薬を出しました。漢方薬にも副作用がありますが、ちゃんと合わせれば大丈夫だからね。そして「一週間後に来てください」と言ったの。一週間後にどうなったと思います?
そのおじいさんは歩いて病院に来た。ボクもびっくりしたんで、よく聞いてみたら、「抗うつ薬を飲み始める前は、ちゃんと歩いていた」と言うんだな。歩いていたの。だんだん薬が増えて、ボケて、車椅子に乗せられて、ということだったんです。
まあちょっとわがままなおじいさんでしたけれども、企業の創業者としての張りのある八四歳の老人として再登場してこられた。そして、泣いて喜んで有られる。奥さんが「奇跡だ。この先生は名医だ」と言っておられたけれども、何も奇跡なんかじゃありゃせんの。ただ、抗うつ薬を飲みはじめる前に戻っただけのことです。
P121
近頃はお薬手帳を持ってきますから、それを見たら、どんな順番で薬が投与されたかが分かるんです。
麻雀の捨て牌と同じで、どんなふうに薬が投与されたかを追っていくと、医療がどういう考えで行われたかが追跡できるので、いちばん最初のところでどういうことが起こったかというのが分かるんです。
P122
一カ月ぐらいでそんなになったから、奥さんは「奇跡だ、奇跡だ」と涙を流して喜んでいたけど、全然違う。医療で悪くしていたんだから、奇跡でも何でもありゃせんの。
幸い、医療で悪くした人は、薬をやめればすぐによくなります。人間の回復力は大したものです。
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
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