日本のあり方がいいといっているわけではない。
「察する」
という点で、日本人が長(た)け、アメリカ人は弱い、というディーン・バークランド教授の意見に同感し、それについて、私は感想を補足したまでである。
さらにくどくいうと、日本人は”察する”ことに長じているために沈黙し、アメリカ人は、この世に”察する”などは存在せぬはずだという”はず”があるために、主題に関する全空間を自分の言語と論理でうめつくそうとする。
そういう両国が、一八五三年(嘉永六)以来、摩擦をつづけてきたのである。
アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P139
0 件のコメント:
コメントを投稿