海音寺 前略~ あの時代(住人注;天誅組事変) は、本当に眼の見えた人間は、世界情勢もわかっていたし、日本の立場もわかっていて、そういう人たちには苦しい時代だったでしょうね。
司馬 眼が見えた人は、当時の言葉でいう因循(いんじゅん)・俗論、今でいう反動家にされてしまう。
観音寺 結局、悧巧な人は本心を明かさないことによって、安全だったんだけれども、佐久間象山みたいに本心をずけずけという人は、結局斬られちゃうんですよ。
司馬 佐久間象山は幕末に殺されますが、横井小楠などは開明期である筈の明治初年になってから、攘夷家に殺されていますね、あれはひきあわない。
新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P36
「開国が正義で、攘夷は正義ではない」
と公言できた幕府政治家は幕末までついにひとりも出なかった。みな、世論をおそれた。世論は攘夷であった。
花神〈上〉
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P433
P45
無知であるためにエネルギーが沸騰しているという集団にあっては、物事がわかっている者は殺されるか、疎外されざるをえない。
P46
日露戦争のはじまる前、開戦せよというのが国民運動として盛りあがり、対露戦争に自信のない政府はその世論をそらすことに懸命であった。
戦争が一段落して政府が講和にもちこんだとき、勝利の値段が安すぎるとして東京で騒乱現象がおこった。
太平洋戦争がおわってからは、全面講和論さわぎ以来、大規模な市民的騒乱現象はすべて外交問題に対する緊張心理からうまれている。
これらの日本人の習性的騒乱癖の祖型をなしたのが、幕末の尊皇攘夷論のさわぎであった。
花神 (中)
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
四 子曰わく、邦道あるあときは言を危(ただ)しくし、行いを危しくす。
邦道なきときは行いを危しくして言は孫(したが)う。
~中略~
先生がいわれた。
「国家が秩序正しい政治を行っているときは、正直に発言し、正直に行動する。
国家が秩序正しい政治をおこなっていないときは、正直に行動するが、控えめに発言せねばならない」
憲問篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P384
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