戦争は魂を粉微塵に吹き飛ばす、という点だけは申しあげておきたい。
この大戦(住人注;1919年講演なので、第一次世界大戦?)において、人間性というすこぶる繊細な感覚は、原始的な野蛮行為の波を食い止めるために文明がいかに無能であるか、宗教がいかに無力であるかを知って衝撃を受け、麻痺状態に陥ってしまった。
~中略~
凶暴な祖先の感情に揺さぶられているわれわれは、深く残忍な原始的感情が今も昔も変わらぬ人間性を示すのを目の当たりに見て、仰天するばかりである。
平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P527
世界は昔から騒乱の巷だった。短い平和と豊穣の時期もなくはなかったが、それは例外である。我々の中には、そういう時代―十九世紀後半とか二十世紀初頭の十年間とか―を経験した人もいるだろうが、だからと言って、そのような状態を正常だと見なす権利はない。
人がこの世に生まれて苦労するのは、火花が上に飛ぶのと同じで、避け難い運命である。
それは正常であって、その事実を受け入れるがよい。そうすれば、人生を諦めとユーモアの混じった気持ちで眺められよう。それが最上の自衛策だと私には思える。
(「作家の手帳」一九四一年)
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P33
P5
いまでも各地で処刑され埋められた人たちの遺骨が出てきます。人は、なぜ人を殺すのか。それも、敵国の人間ではなく同胞を。
この問いに、安易な答えはありません。しかし、世界は一瞬にして平和な地から修羅場に変わってしまうのだ、ということを、私たちは警戒しておく必要があります。
それは、旧ユーゴ内戦でもイラクの内戦でも、仲の良かった隣人たちが殺し合うようになった歴史が示しています。
佐藤 私は、これまで「二〇世紀はソ連が崩壊した一九九一年に終わった」という見方をしていましたが、最近、これは間違いだったと思い始めています。
二〇世紀は、まだ続いているのかもしれない。戦争と極端な民族対立の時代が、当面続いて行くのかもしれない、と。その意味で、本書は「新・戦争論」なのです。
ウクライナ問題がなぜ解決しないのかというと、誤解を恐れずに言えば、まだ殺したりないからです。パレスチナ問題が解決しない理由も、流血の不足です。
「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行かないと、和解は成立しないのです。
必要な流血の規模は、国によって違います。たとえば、日本の六〇年安保闘争だったら、物事のフェーズが変わるのに、樺美智子さん一人の流血で十分だった。
しかし、ウクライナだと、いま二〇〇〇人程度の犠牲者でしょうが、まだ足りない。~中略~
池上 ソマリアからアメリカが撤退するには、十数人の犠牲で足りたことになりますね。
佐藤 そうです。「この争いは無益だ」と思うためには、一定の数の人間が死なないとダメなのですが、それは、ある国では何十人、ある国では何万人になる。時期によっても、変わります。
池上 やはりその国の経済発展レベルによって、変わってきますね。
一九九〇年代のルワンダでは、一〇〇万人と言われるほどの犠牲者が出ました。ヨーロッパでは、もっと少なくなるし、アメリカならさらにずっと少ない。中国も中越戦争(一九七九年)では、数万人と言われる犠牲者が出ています。にもかかわらず、当時の体制は揺るぎませんでしたが、中国にしても、未だとあれだけの犠牲者は出せないでしょう。体制維持が難しくなる。
佐藤 そのあたりのことは、冷めた目で見る必要があると思います。
要するに、「嫌な時代」になってきたのですよ。これからの世界を生き抜くために、個人としては、嫌な時代を嫌な時代だと認識できる耐性を身につける必要がある。そのために、通時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ること。
知識において代理経験ををして、嫌な時代に嫌なことがたくさんある、ということをよく知っておくことです。
池上 彰
新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
国連憲章による「戦争」の根絶は、各国の合意と見なされている。「拡大された決闘としての戦争」は、確かに根絶された。その結果は、より悲惨になった。
まず、「戦争」の狭義すなわち国際法用語ではなく、広義すなわち文学的表現に拡大された。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争といった類である。これらは伝統的な「戦争」としての手続きを経ていない。かつ用語の問題にとどまらず、そのような「戦争」そのものが、従来の「戦争」の概念から逸脱する傾向すら生じ始めた。
~中略~
国連憲章の条文上で「戦争」という語を根絶しても、人間社会の「紛議(=Dispute)」、すなわち潜在的対立も含めた「粉争(=Confict)」が消滅するわけではない。「紛議」が顕在化しても、「粉争」に収れんされるだけである。
つまり秩序ある闘争も、無秩序な暴力も区別されず、それが悲惨な状態においては「戦争」と「戦争でない状態」、すなわち「平和」との区別が不明瞭となる状態となった。
ユーゴ紛争に代表される現在の国際社会の多くの民族紛争は、それ以前から原因は別に存在したにせよ、過剰な理想主義が事態を余計に悪化させた点は否めない。
ウェストファリア型の決闘の法理による宣戦布告は、大日本帝国が最後となった。よく言えば世界で唯一近代国際法の秩序を遵守しているのであるが、平たく言えば取り残されたままなのである。
日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P203
日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)
- 作者: 倉山 満
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/04/03
- メディア: 文庫
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