2024年11月25日月曜日

名医

鱗介( りんかい )の族は水を以って虚と為して、


水の実( じつ )たるを知らず。

          「 言志後録 」第五三条


        佐藤 一斎 著

           岬龍 一郎 編訳

           現代語抄訳 言志四録

           PHP研究所(2005/5/26)

           P103

魚介類は、水がないもののように思い、実際あることに気づいていない

[現代語抄訳]言志四録

[現代語抄訳]言志四録

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

P168
 学問を習熟し、医学に精通し、医術に心をくばり、多くの病気を診察し、経過を見ている医者は良医である。
医学を好まず、医道に精進せず、医学の本を読まず、読んでいても理解しない、新しい説に耳を傾けない医者は、いやしい職人である。
 医学と治療は別ものだと言い、権力者にこびを売ることで医者になったものは、福医または時医という。才能も徳もないが、運がよくて財産を築いたものと同じ人である。
そのような医者を良医だと思ってはいけない。医術も疑わしいからだ。

P182
人の体は、病気にからないとはいえない。病気になったら医者を呼んで治療を頼む。

医者には、上、中、下の三種がある。
上医は知識と技術を持っており、これによって病気を治療する。いわば、この世界の宝であり、その功績は宰相につぐものだ。
 下医は知識も技術も持っていない。それゆえに、むやみに投薬して誤診することが多い。
薬というものは、体調のバランスを崩す。バランスを崩すことにより、病気を治療する。もし薬が病気にあっていなければ、薬は毒になってしまう。

 中医は、知識や技術で上医におよばないが、薬をむやみに使用することがいけないのを知っている。それゆえ、病気にあわない薬を投薬しない。中医は自分の知らない病気に関しては、治療できないし、しないのである。

 病気にかかったときは、すぐに治療して楽になりたいが、医者の善し悪しを考えずに治療を受けると、逆に悪くなることがある。悪い医者にかかるくらいなら、自然に治るのをまつ方がいい。

養生訓 現代文

養生訓 現代文

  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本


貝原 益軒 (著) , 森下 雅之 (翻訳)
原書房 (2002/05)

 

医学博士は、前述の如く、腕と全く関係のない学問的業績に対して、学位を授与されたものです。
かって、医者を辞めてジャーナリストに転身した永井明さん(故人)という人がいます。
彼はその著書「ぼくが医者をやめた理由」のなかで、「感染ストレス時におけるラットの血中脂質濃度の変化」というタイトルで博士号を授与されましたが、「これは外科医として何の役にも立たなかった」と述べておられます。宣(むべ)なるかなといえましょう。
 私自身持っていないから僻んでいうわけではありませんが、博士号は昔から「足の裏についた飯粒」といわれています。
その意は「取らないと気持ちが悪いが、取っても食えない」。

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P28

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者: 中村 仁一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書

P30
医師・患者の対話で、医師にとって特に大切なのは、一方では患者から意味深い情報を手に入れ、他方では患者に診断や治癒方法についての提案を適切に伝えることである。
(H.Gronke,2001)

P31
医師に必要なのは、診療室に患者が入ってきた瞬間に患者の性格を見抜くスキルです。

医師のためのパフォーマンス学入門 ―患者の信頼を得るコミュニケーションの極意―
佐藤綾子 (著), 日経メディカル (編集)
日経BP社 (2011/12/15)

医師のためのパフォーマンス学入門

医師のためのパフォーマンス学入門

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: 単行本

P023
ボクの主治医は鹿児島大学の教授ですが、「この人は医者になってほしい。こんな人はいいお医者さんにあるだろうなあ」と思う学生が、どんどん留年すると言って嘆いておられる。規格化された知識・技術体系に耐えられなくて、もう勉強する気がしないらしい。何かイライラしているらしいの。
逆に「こんな人が医者になったら、患者を機械的にさばくだけで困ったもんだ」と思う様な学生さんは、成績が良くてどんどん卒業して、早く医者になって、「これじゃ将来はどうなるだろうか」と嘆かわしく思っても、国家試験があるから、規格化する授業をせにゃならん。卒業生がたくさん国家試験に落ちたら困るし、心ある教育者はジレンマに陥ります。みなさんは優秀な人たちだから、浮世の身過ぎ世過ぎとしての規格化の勉強の世界と、本物の医療者としての自分との、二重人格で生きていくしかないよな。
 規格化の潮流はどんどん進むけれど、そう心配しなくていいです。こういう規格化して、人を枠にはめ込む流れというものは、歴史の中で何回もあって、そして必ずある極点までいくと崩壊しています。みなさんが生きている間に必ず崩壊するから、崩壊するときの混乱の日を楽しみに、腕を磨いていくといいと思います。

P034
 昔から中国に「中ぐらいの医者にかかるのと、全然医者にかからないのと同じくらいの効果がる」という格言があります。だから、せめて中の上ぐらいの医者になって、プラスの効果とマイナスの効果が分かるようになってほしいの。
最近の薬はきょうりょくになってよく効くから、副作用も強い。だから老人はもう、あっという間にめちゃくちゃ悪くなります。
昔の薬は効いているのか効いていないのか分からんから、副作用もあまりなかった。あとはプラセボ・エフェクト(偽薬効果)というのが三割なり四割なりあるわけだから、それでよくなるんです。

P107
 それから「ちょっとしばらく様子を見てみましょう」と言うと、「けしからん医者だ」と文句を言われるんじゃないかと思いますけれど、そういつことはないのよ。
「しばらく様子を見てみましょう」と言うのが名医なんです。「このぐらいだったら様子を見てもいいから、様子を見てみましょう」と言って、それで「あとは知ーらないっ]じゃなくて、様子をみておく人が名医なの。ちゃんとしたお医者さんです。
 検査成績が悪かったらすぐに薬を出したり、患者が「痛いです」と言ったら「あら痛いですか」と痛み止めをだしたりする人は素人。
「痛いです」と聞いて、すぐに痛み止めを出したら、痛みが分からんようになって、かえって悪いことがある。様子を見てみなきゃ。

P215
たとえば薬を出しますね。そして患者さんが「これを飲んだら気分が悪くなった」と言うと、「それなら止めて、別の薬に変えましょう」と言うと、この患者さんの「止めたい」という気分は全面的に受け入れられるわけです。
 ところがこちらとしても、「この薬は、この人の病気に必要なんだけどねえ」という思いがあって、「これでなんとか治せんかなあ」と思ったら、「どんなふうに気分がわるいの?半分に割って飲んでみても、気分が悪いかどうか試してみる気はない?というようなことを言う。これはさっき言ったように精神療法です。
 今、しばしば行われているのは、「この薬を飲むと気分が悪いです」と患者が言うと、「どんなふうに気分がわるいの?あ、それはこの薬の副作用だから、その副作用に対してこういう薬があるから、これも足しときますよ」と言って、副作用が出てきたら、その副作用止めの薬も出てくる。またそれの副作用が出てきて、またその副作用止めと、複雑系でいろいろと出てきて、山ほどになって、馬も食わんくらいに薬をいっぱいもらって帰る人がいる。これがいちばん悪い。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2013/09/03
  • メディア: 単行本

 なお、ついでに、よくマスコミに登場する「名医」、「神の手」について記しておく。
確かに、一流もしくは超一流の技術を持つ先生も多いが、彼らは万能ではない。腫瘍を技術的に取れるか取れないか、ということと、それで治るか治らないか、治らないにしても意義があるかどうか、は別問題である。
まずはそこへ紹介される前に、常識的な「良医」に、そういう治療手段に踏み切る価値があるかどうかを判断してもらうべきである。
往々にして、特に外科医は、「取れないですか?」と聞かれると、反射的に「(技術的には)取れます」と、その医学的な適応(「取る」ことに意味があるのかどうか)を度外視して答えてしまい、引っ込みがつかなくなって暴走してしまう、ということがある。「名医」と呼ばれる先生は、当然それだけのプライドをお持ちだろうから、「できません」と答えるのには躊躇することが多いのではないか。
~中略~
当たり前のことで恐縮だが、マスコミはセンセーショナルに取り上げないと「売れない」のである。
彼らは商売で記事に、番組にしているのだ。不遜を承知で申しあげると、ああしたマスコミ報道を真に受けて病気を治そうというのは愚かなことといわざるを得ない。
 なお、マスコミを利用して、「最新の治療法」を商売にしているようなところは、そもそも「名医」の範疇に入らないので、コメントする価値もない。

偽善の医療
里見 清一 (著)
新潮社 (2009/03)
P40

偽善の医療 (新潮新書)

偽善の医療 (新潮新書)

  • 作者: 里見 清一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書

 余談であるが、名医の条件には知識や技能といったレベルのほかに、ある種の強運とかツキを呼び寄せる力といったものもまた要求されるに違いない。
まあ大真面目な顔をしてそんなことを言うと頭がオカシイと思われかねないが、そういった要素がじつは重要なのである。そしてそれは、援助者にも当てはまるだろうとわたしは思っている。

はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P158

はじめての精神科―援助者必携

はじめての精神科―援助者必携

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本

 医師に必要なものとして、誠実さとか優しさとか、人間愛とか自己犠牲だとか、的確な判断力だとか冷徹な技術だとか、鬼手仏心だとかいろいろなことが言われます。しかしわたしが思いますに、医師として何よりも大事なのは運の強さです。
 強運―これに勝るものはありません。これさえあれば、死にかけの患者へ下手な処置をしても助かります。ぎゃくに運の悪い医者は、どれほど善人かつ技術に優れていても、「治療は見事だったが、患者は死んだ」といった結果になります。

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P030

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室

  • 作者: 春日 武彦
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本

 孟子(「孟子」梁恵王(りょうけいおう)上篇)は、梁の恵王に「人を殺すのに刃(やいば)をつかうのと、政治で死に追いやるのとでは、どんなちがいがあるか」と尋ねられ、「殺すことに変わりはない」と答えている(「人を殺すに刃と政(まつりごと)とを以てせば、以て異ることあるか。曰く、以て異ること無し)。
人を殺す方法に違いはあっても、死なせた罪にかわりはない。恐ろしいことだ。

 医者としては、精一杯心を尽し、人の命を惜しむ仁の心もあって薬を施したのに、病気が治らない場合は仕方がないというしかないが、孔子(「論語」子路篇)は「確固たる信念と覚悟がなければ、神に仕えることもできないし、医者となって人の病気を治すこともできない」
(恒(つね)無(な)くんば以て巫醫(ふい)を作(な)すべからずと。善(よ)い哉(かな))といっている。
 医業は、人の命を託される仕事である。人の命を大切にする気持ちを自分の心としないと、仁の道に背いた過ちを何度も犯すことになる。
自分の命を惜しむ心で病人を愛するなら、過ちは少なくなるはずだ。
心底からこのようにする者が仁愛に満ちた真の医者となるのだ。 仁愛を失わないこと。それが、医者に求められる恒常心なのである。
 前述した孔子の言葉を胸に深く刻み、治りにくい病気にかかった患者と出会ったら、医書を読み漁って、その治療法を工夫することだ。そうするのは、博識になるためではなく、心底から病人を気にかけ、憐れみの気持ちで接するためであり、そういうことを重ねていけば、いつか必ず、「博学の名医」と呼ばれるようになるだろう。
博学というのは、詩作に励んだり、文章が巧みであったりすることではない。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P232

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2016/09/29
  • メディア: 単行本

0 件のコメント: