中国人という商品が安いがために白人の労働市場を攪乱し、このため一八八二年(明治一五)中国人移民禁止法ができた。
ついで、日本人という商品が安いために排斥をくらった。さらには日本人が、事もあろうに農業、商業の経営者に転換したために、商売がたきの同業者から排斥された。
一九〇一年(明治三四)、中国人についての移民禁止の法を日本人にも適用せよ、ということをカリフォルニア州議会が決議し、連邦議会に働きかけた。
当時、サンフランシスコの市長はシュミッツ(Schmitz)という人物で、公人でありながら日本人排斥同盟の重要なメンバーになった。この同盟の主要構成員は、むろん各種労働組合で、この点、アメリカにおける日系人へのいじめ史は、からりと乾いている。問題は、カネなのである。
アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P99
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