話がかわるが、旧幕時代、渡米して、自分が知らぬまに奴隷に売られていた若い仙台藩士があった。ブルックスはこの若者をも救った。かれのために契約を破棄し、自由の身にしてやった。奴隷の青年とは、高橋是清(一八五四~一九三六)のことである。
高橋はその後、日本銀行に入って財政の腕をみがき、明治末年、日銀総裁、のち大蔵大臣などになった。
昭和に入っても、彼の財政能力は衰えなかった。擡頭(たいとう)してきた軍部が、赤字公債などによって放漫な軍事予算を政府に組ませようとするのに対し、悪性インフレをおさえることに懸命になった。つまり軍事費をおさえた。
このため青年将校のうらみを買い、二・二六事件(一九三六年)で、凶弾にたおれた。
高橋は平素思想的なことなどいわない人であった。ただ有能で温厚な財政の守護者として終始したが、かれが斃(たお)されたとき、軍部の太平洋戦争への道が大きく口をあけたともいえる。
すくなくとも高橋のようなインフレぎらいの男が国家の財布をにぎっているかぎり、当時の軍部は中国侵略の経費さえ出なかっただろう。
アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P104
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