神宮皇后が三韓出兵のとき、この地で軍隊の調練をし、軍馬を集めたとの口碑により、里人は馬寄の文字をあて「まいそ」と読ました。
この発音について、小倉徳力神理教佐野経彦は、その著「企救郡誌」に後記里程表と同じく「真磯」の字をあて「まいそ」と読ませている。
その論拠について、この海岸は萬葉集にもうたわれた「企救の高浜」の一部で、これに並ぶ他の高浜や長浜が、共に砂原であるのに、この浜は美しい松原で、小石が敷き並ぶ磯であるので、
まことの磯「真磯」、それ古に神宮皇后が人馬の勢揃いをしたという因縁から、「馬寄」の字をあてたとも考えられる。
土着の人は殆ど、また、研究家(石崎・大田両氏)も「まいそ」と発音し、その著書にも「まいそ」とふり仮名をつけている。
そのときの役馬を、馬寄で飼っていたといい、馬屋敷の小字名ものこっている。
郷土門司の歴史
中山主膳 (著)
金山堂書店 (1988/06/01)
P124
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