2024年12月28日土曜日

天災と日本人

P26
 日本人は破局のあとには強いが、危機自体の扱いは不得手である。危機管理などといっているから、それが逆にわかる。
実際に危機管理ができるなら、そんなことはまさに「いうまでもない」筈だからである。
フランス人の自由・平等・博愛みたいなものであろう。
養老 孟司

P31
池田 今回起こったのは未曾有の大きな天災だということは間違いないけれど、実はみんな、大地震や大津波はいつか起こるだろうと心の底では思っていたし、情報・知識としても知っていたわけですね。

震災後、「想定外」云々という言葉が飛び交ったけれども―いつ来るかわからなかったということや規模が想像以上だった点ではたしかに「想定外」だったかもしれないけれど―、いつか、どこかで、天変地異が起きるかもしれない、という気持ちを、多くの日本人は潜在意識の中に組み込んでいた。
だから、そんな意味合いにおいて、大きな地震が起きて大きな津波に襲われたこと自体はまったく「想定外」ではなかったと思うんです。

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本


P116
 安政大地震の折に町奉行から幕府へ提出された「地震後所々出火之儀申上候書付」と題する報告書から判断すると、焼失総面積は六十二万坪で、それにくらべて関東大震災の焼失面積は一千百五十万坪にも及ぶ大規模なものだったのである。
 江戸時代にくらべて大正時代のほうがはるかに消防能力は秀れていたのだが、地震による水道管の破壊によって消防力はほとんど無に帰していた。それに家屋の密集度も増していたこともあって、火災は自由に四方八方へのびたのである。

P131
 東京市の火災状況を調査した震災予防調査委員中村清二理学博士は、結論として地震よりもそれに伴う火災のほうが恐ろしいことを強調した。
そして、火災防止のためには最大の発火原因である薬品の管理方法の取り締まりを主張し、建物の耐火耐震構造を望んでいる。
~中略~

 最後に、中村は、江戸時代に防火のために火除原と称された広場や広い道路(広小路)が作られていたのに、それが無駄な場所と考えられ、いつの間にか民家で埋められてしまっていることを指摘している。
つまり防火思想が江戸時代より後退していることを嘆いているのである。

P335
 中村清二は、火災の研究がほとんど無視されていたことを鋭く指摘した。彼は、それらの資料を駆使して論文を発表したが、そのなかで水道は地震で破壊される運命にあるので近代消防は役に立たず、江戸時代にさかんにおこなわれた破壊消防の方が有効だと主張した。
 また中村は、民衆の火災に対する無知についても筆を進めた。地震とともに大火が発生した原因は、民衆が余震を恐れて火元を消すことをせず多くの家財等を持ち出したことになるとして、それによって多数の焼死者を出したと非難した。 

関東大震災
吉村 昭 (著)
文藝春秋; 新装版 (2004/08)

新装版 関東大震災 (文春文庫)

新装版 関東大震災 (文春文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/08/03
  • メディア: 文庫


[二三] 仏教で説く四大種の中では、水・火・風の三つはいつも災害を起こすけれど、大地というものは、特別な変化をしないもので、安定しているはずである。
昔、斉衡のころであったろうか、大地震があり、東大寺の大仏の御首が落ちなどする、ひどいことなどがあったけれど、その大地震も今度のはげしさにはかなわないということだ。
その大地震(住人注;元暦二年(一一八五)7月9日)も今度のはげしさにはかなわないということだ。
そこで、今度の大地震を経験した人は、みなこの世がつまらないものだということを話あって、少しは煩悩もうすらぐように見えたけれど、それから月日がたち、年が過ぎたあととなると、大地震のこと、それによって世のはかなさを嘆きあったことなどを、口に出していう人さえいやあしない。

方丈記 現代語訳付き
鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳)
角川学芸出版; 改版 (2010/11/25)
P101

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 鴨 長明
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2010/11/25
  • メディア: 文庫


 首都圏直下型の地震の場合、首都圏だけでも1万人以上の死者が出る可能性があるという。
 地震が来るのがわかっていながら高いビルを建て続けている。どんどん地下鉄網も延ばしてきた。もちろん地震対策をしている。
しかし、それはビルや地下鉄が壊れなくても、中に閉じ込められた人たちがどのくらいの日数、生きていけるかどうかとは別である。
 人間が作った数字、想定した数字は、前の経験を使って行った計算の結果にすぎない。関東大震災のときには、こんなに多くの高層ビルはなかった。

世の中の罠を見抜く数学
柳谷晃 (著)
セブン&アイ出版 (2013/3/1)
P224

世の中の罠を見抜く数学

世の中の罠を見抜く数学

  • 作者: 柳谷晃
  • 出版社/メーカー: セブン&アイ出版
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 東湖は水戸藩の学者。幕末の日本人に多大な思想的影響を与えた。
西郷隆盛は東湖に面会して驚き、「天下、真におそるべき者なし。ただおそるべき者は東湖一人のみ」と評し、終生敬愛していた。
 その東湖は一八五五年の安政地震で圧死した。
徳川御三家は紀伊も尾張も一等地に屋敷をもらっている。しかし水戸家は初代頼房が末っ子で、はじめは松平姓で徳川姓も許されておらず、暴れん坊で将軍家から警戒されていたためか、屋敷も外堀の外の低地に与えられた。現在の東京ドームの遊園地の場所で、地震のたびに、よく揺れ、建物が倒れた。
 東湖の死は痛ましい。東湖の一家は揺れを感じてすぐに全員が庭に出た。ところが老母が「火鉢の火を消し忘れた」と揺れる建物に入ろうとした。「藤田家から火を出しては主君に申し訳ない(忠)と思ったのか命がけで飛び込んだ。東湖は危ないと母を追った(孝)。そこで建物が崩れ、東湖は辛うじて母を庭に投げ出したが、崩れてきた鴨井や梁に押しつぶされ、みずからは圧死した。
~中略~
 東湖が圧死する前年、一八五四年には伊賀上野地震がいきている。この地震で命拾いした学者家族の史料をみつけた。
猪飼(いかい)という藤堂藩の儒者の家。猪飼敬所は学者番付で「西の大関」とされた儒学の大家。その養子。猪飼貞吉(箕山)が被災の様子を書いていた。それによると、地震は真夜中におきた。震度六~七の猛烈な揺れだ。しかし地震はいきなりではなかった。数日前からたびたび揺れていた。それもあってか、猪飼は妻に一つのことを言い含めて有事に備えていた。
「小生の家には二人の男子がいる。兄は九歳。弟は(小児で)三歳。下男下女のいない家だから、平生から火急の節は、兄のほうは小生が抱き、小児は家内(妻)が抱いて逃げる」 
 この申しあわせがよかった。~中略~ まさに間一髪、「今、ひと足、遅ければ死を免れなかたっところ天の幸いで逃げられた」(「嘉永甲寅六月地震記」 西尾市立図書館岩瀬文庫蔵)。
 忠孝を貫いて死んだ藤田。夫婦で備え命を守りぬいた猪飼。二つの家の歴史が我々に厳然たる教訓を示している。
第一、事前に家族で地震時にどうするか話し合っているかで生死が分かれる。
第二、一度逃げたら、忘れ物を取りに家に戻ってはならない。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P147

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 新書


糸井 「わからないから怖い」って不安に思っている人ほど、新しい情報に対してオープンじゃなかったりしますよね。
「触らぬ神に祟りなし」って感じで近寄らないようにしてたり、「何が何でも放射線はゼロにしてくれ」って、耳を塞いで言い張ってたり。地球のどこかにいる限り、放射線量はゼロにできないのに。
早野 あと、「わからない」であきらめてるような人って、知識がないわけじゃなくて、震災直後の混乱した中で発表された情報のままで知識が固定されてるんですよ。だから、知識がずっとリニューアルされてない。
糸井 ああ、たしかにそうですね。「知らない」とか「わからない」っていうよりも、古い知識で止まっちゃってる。

知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P16

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

  • 作者: 早野 龍五
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/27
  • メディア: 文庫




こんな日本に誰がした

P12
もう高校生になった子供に対し、親の方から積極的に働きかけて「サンタの夢」を現実生活の中に創造したり、その同じ「夢」の世界の中で親子が一緒にプレイするような所まで進化し始めている。

それはまるでディズニーランドのシンデレラ城の中で観客を動員して行われるアトラクションにも似ている。そして、近年のこんな親たちの「努力」が功を奏したのか、「まだまだサンタの健在」の家庭が増え、いまでは中学生になっても高校生になっても、サンタクロースからのプレゼントを貰い続ける子供たちが、約五割に達しようとしているのである。

P6
 だが気になるのは、中学生や高校生になる子供に対して「いつまでもサンタクロースを信じているような子どもでいてほしい」「子どもにはずっと夢を見続けていて欲しい」「大きくなってもあまり現実を見ないでいてほしい」と、近年親が思うようになってきたことである。そして、サンタクロースの「夢」を共有してくれなかった子供とは、心が通じ合えなくなるような寂しさや不安さえ親が語るようになってきたことである。

P17
 理由は様々に語られるが、近年このように元旦の御節をまったくたべない家庭が増加している。
第二次調査時点(住人注;2004年12月~2005年1月)では既に全体の二割強に達している。「御節も一応用意する」家庭でも、市販の蒲鉾や伊達巻などの一品~二品だけお印のように用意して「御節」と言っている家庭もある。それらも含めると三割以上、約三分の一(第二次調査)の家庭が、元旦にほとんど御節らしいものを食べなくなっているのが実態である。
 だが、そんなことは既に特筆するに値しないかもしれない。御節の有無どころではないこんな家庭も増えているのだ。
元旦の食卓には「袋入りのロールパン、菓子パン、シリアル、インスタントコーヒー、みかん」などが無造作に放り出されている。この家の主婦(41歳)に聞けば「これはみんな各自(子供11歳・9歳)勝手に起きて、バラバラに食べたものなんです」と言う。普段から家族で食卓を囲む習慣がこの家にはないため、正月だかといって食卓に家族が揃うことはない。

P19
 元旦も二日も、主婦(36歳)が昼近くまで寝坊して起きてこなかった家もある。彼女は、「子供たち(7歳・5歳・2歳)には、夫がお雑煮を作って食べさせてくれているみたい」と言い、自分はあとで起きて元旦は一人インスタントラーメンを、二日はトーストを食べている。
 このように御節の有無以前に、元旦であっても家族が揃わず、親も子も「好きな時間」に「好きなもの」を勝手に食べる家族が増えている。第二次調査では、家にみんないても、元旦の食卓に家族が揃っていない家庭が四割である。

P20
 こんな実態を見て「今時の若い親は」とか「核家族だから」と眉をひそめる人もいるかもしれない。だが、それは帰省して祖父母の家で正月を迎えた家族でも見られることである。大晦日から帰省しながら、元旦は寝坊して起きない親(主婦)たちも少なくない。祖父母世代にそれをとやかく言う人はほとんどいない。
夫の実家で元旦を迎えたある主婦(36歳)は、元旦から寝坊して「子供にはなんかおばあちゃんが適当に食べさせてくれたんじゃないですか」と言う。
食べ残しの写真を見れば、「ピサ、トースト、菓子パン」である。それを」みな起きた順に、パジャマ姿のまま勝手に食べている。ただ一人雑煮を食べたがるおじいちゃんには、一人分の雑煮をおばあちゃんが作ったというが、他の家族は誰も雑煮を食べていない。

P29
近年(第二次調査)では四軒に一軒の家庭が「御節は夫婦いずれかの実家で食べる」ようになっている。~中略~
「お正月は、私の実家か主人の実家に行けば朝からばーんと御馳走が出ますから、「御節は実家に帰って食べるもの、私は作らないもの」っていう感覚です。<44歳>とか、「毎年暮れから夫の実家へ行くので、お正月の準備など人生の中で一度もしたことがない。自分では面倒くさいですから」(42歳)と言う主婦たちに、恥ずかしさや後ろめたさはまったく見られない。
中高生以上になるその子供たちは、自分の家で母親が御節を作る姿を今まで一度も見たことがないのだ。

P39
 いくつになっても「お客様」として、親世代の祖父母たちに甘え「してもらう」主婦たち。自分が手伝ったり、主催者になって人を「もてなす」ことには強い抵抗を示す。
それは主婦だけでなく、同行している夫も同様ではないだろうか。このようなことは決して若い主婦だけでなく、30代後半、40代、あるいはそれ以上の、いま子どもを育てている中堅世代の親たちの特徴となっているのである。

P56
そして主婦たちは、口を揃えてこう言うのだ。「なぜお供えやお正月飾りを飾るのか、親から理由を聞かされたことなんて一度もなかったです」(43歳)「『こうだからやる』っていう意味を親から教えてもらった記憶がないんです」(38歳)、「親がなんでやっていたのか、私は聞いたことがないんです」(41歳)。

 

P62
 こうしてみてくると、幼い頃からずっと正月を「してもらいたい」「見てきた」だけの主婦たちは、自分たちの代になったからと言って自分がするわけではない。「お正月は泊りがけで両方の実家を回って過ごす」と言うある主婦(39歳)は、「自分の家に帰ってきたら、家族だけでゆっくり外食に行くので、自分の家の味なんか必要ないんです」と言っていた。そうは明言しない人たちも、「してもらう」先を実家の親からホテルやレストランに変えていくだけである。
いずれは自分が「する人」としてではなく、「してもらう人」として、ただ「見ていた」だけのことは、どうも伝承されにくいようだ(127頁参照)。
 そして、正月の親子三代の集まりで今の子供たちが見ているのは、先に述べたように40代の母親(主婦)が70代の祖母一人に働かせて上げ膳据え膳してもらっている姿や、50代の父親が80代の祖父に{お年玉」を貰っている姿だったりして、子どもから見た「親」の姿も、従来とはすっかり違うものになっていることを見逃してはならない。

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓
岩村 暢子 (著)
新潮社 (2007/10)

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓

  • 作者: 岩村 暢子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/06/30
  • メディア: 単行本

 

お寺で年輩の人とかかわっているとすぐわかることなのだけれど、多くのお年寄りは意外に進歩的だ。おそらく高齢の人は、歴史的に見ても特異な技術発展の中で生きているので(昭和初期と現代の生活を、煮炊きから電気器具まで比べると歴然としているように思う)意外と新しい存在の方を支持することが多く”過去のもの”に対して思いのほか冷徹な側面がある。
もしかしたら、戦争での体験のようなことも影響しているのかもしれない。

ボクは坊さん。
白川密成 (著)

ミシマ社 (2010/1/28)
P70

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本

P22
 明治が革命にならないで、維新で立派にやれたということ、この問題だけでも大変なことなんですけれども、結論を申しますると、やはりこれは人物と教養との問題でありまして、東洋の政治学で言いますと、能率の究極は、
「賢を尊んで」、「能を用い」、「俊傑位にあり」
 これは「孟子」の中にある有名な言葉でありますが、この三つに帰すると思います。
明治維新のあんなに能率・格調等立派にいったのは、なんと申しましても、少なくとも幕府以来の学問・教養・人物のおかげであります。

P24
この幕府を通ずる教学の力、それから田舎武士の力、それと武士の娘・武士の妻の力、
この三つが明治維新を大いに成功せしめ、徳川の幕府政治を三世紀近く保ち、なおその遺徳によって明治の日本の建設に非常に貢献をしたということであります。

P29
人間には、―これは人間学というものの根本問題の一つでありますが、―要素ともいうべきものが、大きく分けると二つになるわけですね。
第一は、これがなければ、人間の格好をしておっても人間でない、これあるによって人が人であるという、いわば本質的要素であります。
それから(もう一つは)、あればあるに越したことはないが、ある、ない、というのは多少の程度の差で、しかし非常に大事なもの、これを前の本質的な要素に対していうならば付属的要素というべきもの。それともう一つ付け加えれば、これは徳性、本質的要素に関連するもので、習性、習い性となる習性というものがあります。
 この本質的要素が、すなわち人間の道徳性、徳性であります。それから付属的要素の代表的な二つが知能と技能であります。知識・技術であります。それから第三の、どちらかといえば徳性に準ずべきものが習性、すなわち躾というものです。
 ところが明治教育というものは、学校教育一本ということになりまして、昔、徳川時代のような各藩における学校、郷学、そういう多様性、diversity,varietyというものがなくなってしまって、非常に単一になって、そして大事な本質的要素を、人物・徳性というものを養うことは修身教育ぐらいになって、これがほとんど話にならんことになってしまった。まだいくらか躾というものが残りましたが、全力を挙げて知能教育、技能教育、すなわち知識・技術の修得になったわけです。

P31
大正時代、第一次世界大戦が始まりますまでは、割合にその祖先の遺産でなんとかできたのであります。この第一次大戦が日本の非常な反省、試練になれば、日本はあそこで大きく自己を取り返せたのですが、この世界大戦で日本は、ほとんど犠牲らしい犠牲を払わずに、戦争に便乗して大儲けをした。この時に日本に初めて成金というようなものができて、札びらが全国に舞ったわけであります。
これで明治末期から大正にかけての日本の頽廃と堕落が一ぺんに吹き出したわけです。
 そこで昭和の初めになって、俄然として「昭和維新」ということが叫ばれるようになりました。
ところが、理論闘争は非常に盛んでありましたが、明治維新と違ったことは、(その中心人物たちが)そういう伝統的な教学と修養というものをしていないので(これは右派も左派も同様)、理論は達者で意気は盛んであるけれども、人間は練れておらぬ。したがって見識とか器量とかいうものはできておらぬ。
この短所が、第一次世界大戦の日本で言いますると、大正・昭和の初期の革新運動をいたずらに、あるいは国家社会を混乱に落とし入れた。
まだ国内は秩序を割合いに維持しておりましたから、それが転じて満州に反映いたしました。ここに満州事変の勃発となったわけであります。

P35
そこで日本が、いわゆる王道政治、理想の政治を実現して、中原、すなわち中国に野心を持たぬということを堂々と声明して、漢民族を安心させれば、歴史は違ってきたのでありますが、その関東軍や、満州の建国に非常な野心を深めた連中、あるいは、それに参加できなかった野心家、事を好む連中が、満州をしてやったから、今度は北京を取ろう、上海を取ろう、ベトナムに行こう、どこにも縁のない者は豪州を征服しようなんていう、当時日本に建国病というものがはやりますた。
これが、国内革命をはかばかしくやることのできないテロリストをして、このほうへ血道をあげさせることになりまして、とうとうこれがシナ事変となり大東亜戦争となって、ああいう悲劇的結末をつけたのであります。
孫文などは、満州などは、日本にまかせてもよい、ということを言っておった。よく歴史の真理と政治学・哲学がわかっておれば、東洋の局面はすっかりかわっておったのでありますが、まことに千載の恨事というものは、こういうものだろうと思うのです。
 それは一に、本当の意味の学問がなかったということです。いわゆる知識・技術というものはあったが、、「人間学」というものがなかったということがいちばんの原因であります。

P36
 この欠陥が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれを占領・支配し、かつ、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。
このアメリカのGHQの対日政策がどのような原理によって行われたかということは、これが皆さんご承知かと思います。非常に巧妙な解説でありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
~中略~
 日本を全く骨抜きにするこの3R・5D・3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。
日教組というものがその代表的なものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものはみな、この政策から生まれたわけであります。

安岡正篤
 運命を創る―人間学講話
 プレジデント社 (1985/12/10)

運命を創る―人間学講話

運命を創る―人間学講話

  • 作者: 安岡 正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1985/12/10
  • メディア: 単行本


 

P106
日本も明治で言いますと、明治天皇の晩年までは、世界の奇跡といわれるほど躍進した。ところが、維新の元勲が世を去って、二代目が跡取りになって、明治末期から大正の初めにかけては、、物堅い間違いのない、しかし前代の気風をやや受けてしっかりした人々がいた。
私などは大正の初めには、このクラスの人を革命創業の気風を解する、いい意味の継体守文的な人としてよく知ることができた。
それが大正末期から昭和の初めに入ると、政界でも経済界でも思想界でも、「無為呼息、ただ過ちなきをこれ務む」というふうに日本の指導層がなってきた。
 そこに第一次世界大戦を経験して、こんな状態では萎靡(いび)沈滞して混乱破滅してしまうというので、昭和の初め頃から革命創業の説が盛んになってきた。誰が始めたかというと青年将校である。それから満洲だの北支だのへ行っていた満鉄その他、国家機関としての産業界に勤めていた意気盛んな青年、さらにそれらと共鳴した内地の青年官僚、大学生など、いろいろの連中が革命創業の想像に駆られたのです。
想像に駆られたが、彼らは本当に三国の時代、楚漢の時代、あるいはヨーロッパでもしばしば経験しているような、国を挙げてての激しい動乱のなかで鍛えられ、そこから生き抜いてきたのでない。
日本という島国の、大陸の風雲の及ばない、長いあいだ無為姑息を続けてきた環境の中に育った連中であるから、気概だけは盛んであったけれども、精神も頭脳も鍛えられていない。英雄豪傑的学問・鍛錬を受けていない。
だから大いに革命創業を気取ってやったけれども、やったことは実は非常な混乱破滅を起こしたにとどまるのです。
そして事志と違い、満洲でやり損い、ついで大東亜戦争をやり損なって、本当に日本をぶち壊してしまった。これは日本の悲劇です(三六頁参照)。
 日本はドイツやイタリアのように国土に敵を受けて、敵に席捲され蹂躙されて地獄の苦しみを嘗めたというなら、かえって革命創業へ進むことができたかもしれない。
ところが日本は、沖縄だけは例外だったが、本土を水火の地獄に陥れるということはなく、平和的終戦をして、米軍が一兵を損ずることなく無血進駐した。その結果、油をしぼられるようなひどい目にあうかと思うと、そうではなかった。
それまで飲む物も食う物も見る物も何もないという、長い戦争による疲労困憊のところへ進駐軍が来てくれて、酒も飲める、煙草も吸える、雑誌も読めるし映画も見られる、男女関係も解放される。進駐軍さまさまということになって、敗戦国としてはまことに甘やかされたことになった。そして憲法から始めて、みな先様お手盛りの物をありがたくいただいた。~中略~
 例えば、労働組合でも日教組でも、共産党でも、みな進駐軍のおかげでこしらえてもらって、進駐軍に尻を叩かれてにわかに強くなって、革命革命と言いだした。

P32
 歴史的・伝統的な深い人間学、正しい節義、そういうものを失って、近代の非常に非人間的なイデオロギーと、それに粉飾、カモフラージュされた野心とが大荒れに荒れたということが、(昭和敗戦の)大破壊を招いた最大原因であります。

P33
 あのときの日本の一番の欠点は、第一次大戦に漁夫の利を占めて、世界各国の非常な不幸・禍を種にして日本が金儲けをした。
津々浦々に札ビラが舞い、成金が出て、好景気に酔ってしまった。日本人が従来の伝統的な良識や節義を失って、唯物主義・功利主義・享楽主義・デカダン生活をほしいままにした。
そこへ戦後の無政府主義、社会主義、共産主義というような、懐疑的、破壊的、虚無的思想の影響があって、国を挙げて精神的・道徳的あるいは敬虔な宗教思想を失ってしまった。
左翼は外国の真似に走り、右翼はそれに対抗しながら、やはり多分に時代の悪風にかぶれた。これが日本の恐るべき破滅に駆りたてた原動力であります。我々は今日も、これを深く反省しなければならぬと思うのであります。

P34
満洲事変当時、張作霖軍閥が蟠踞(ばんきょ)しておったのでありますが、この張作霖がもう少し中国伝統の思想学問を修めていたならば、私はこういう東亜の悲劇は免れ得たと思う。
 当時満洲に王永江という人がいた。彼は満洲の諸葛孔明といわれた人で、本当の名宰相でありました。この人が張将軍のために熱心に保境安民策を進言した。
これは「中原に進出して天下を制するという野望を起さずに、もっと満洲に善政を布(し)きなさい。そうして隣国日本その他と、つとめて隣邦の誼(よしみ)を正しゅうして、もっぱら三千万民衆の安寧幸福をはからなければならぬ」というのです。
彼の補佐によって張作霖は非常に力を養ったのでありますが、実力がついてくるにしたがって、彼は満々たる野心の抑えようがなくて、ついに禁を破って中原に進出した。
~中略~
 日本が満洲に発展するとともに、満洲国がせっかく「王道楽土の建設」ということを標榜したのでありますから、日本が今少しく謙虚に、満洲当局と力を合せて、言葉のとおり王道楽土の建設のために努力をする、王永江のいわゆる保境安民政策をとって慎重に力を養ったならば、これまた歴史を変えたであろうと思う。

知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))

知命と立命―人間学講話

知命と立命―人間学講話

  • 作者: 安岡 正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1991/05/01
  • メディア: 単行本



P240
 明治末年から日本は変質した。先勝によってロシアの満州における権益を相続したのである。がらにもなく”植民地”をもつことによって、それに見合う規模の陸海軍をもたざるをえなくなった。
”領土”と分不相応な大柄な軍隊をもったために、政治までが変質して行った。その総決算の一つが”満州”の大瓦解だった。この悲劇は、教訓として永久にわすれるべきではない。
 君子ハ為サザルアリ、ということばがあるが、国家がなすべきでないことは、他人の領地を合併していたずらに勢力の大を誇ろうとすることだろう。その巨大な領域に見合うだけの大規模な軍隊をもたねばならず、持てば兵員をたえず訓練し、おびただしい兵器を間断なくモデル・チェンジしてゆかねばならない。
やがては過剰な軍備と軍人、あるいは軍事意識のために自家中毒をおこして、自国そのものが変質してしまうのである。
たとえば、歴史の中の日本人というのは、貧しいながらおだやかで、どこか貧乏に対してとぼけたところのある民族だと私は思っているのだが、重軍備をもったあとの近代史の中の日本人は、浅はかで猛々しくて、調べていてもやりきれないおもいがしてしまう。

P254
自国の歴史をみるとき、狡猾という要素を診るときほどいやなものはない。 江戸期から明治末年までの日本の外交的な体質は、いい表現でいえば、謙虚だった。べつの言い方をすれば、相手の強大さや美質に対して、可憐なほど怯えやすい面もあった。
 謙虚というのはいい。うちに自己を知り、自己の中のなにがしかのよさよさに拠りどころをもちつつ、他者のよさや立場を大きく認めるという精神の一表現である。
明治期の筋のいいオトナたちのほとんどは、国家を考える上でも、そういう気分をもっていた。このことは、おおざっぱにいえば江戸期から引き継がれた武士気分と無縁でなかった。
しかし、おびえというのはよくない。内に恃(たの)むものとしてみずからのよさ(文化といってもいい)を自覚せず、自他の関係の力の強弱のみで測ろうとする感覚といっていい。
強弱の条件がかわれば倨傲(きょごう)になってしまう。
 日露戦争のあと、他国に対する日本人の感覚に変質がみとめられるようになった。在来保有していたおびえが倨傲にかわった。謙虚も影をひそめた。江戸期以来の精神の系譜に属するひとびとが死んだり、隠退したりして、教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた。かれらは、かつて培われたものから切り離されたひとびとで、新日本人とでもいうべき類型に属した。
 官僚であれ軍人であれ、このあたらしい人達は、それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた。自然、挙措動作、進退、あるいはしりょんすべてが、わが身ひとつの出世ということが軸になっていた。
 かれらは、自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた。とくに軍人がそうだった。
 日本における狡猾さという要素は、すべて大正時代(一九一二~二六)に用意された。
国内的には大正デモクラシーとか、大正的な大衆社会の現出をみながら、対外関係においては、後世からみても、卑劣としか言いようのない国家行動が、その立案者にすれば、愛国的動機から出ていた。それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった。
 国家にも、器量がある。器量とは、人格、人柄、品性とかいった諸概念をあつめて、輪郭をぼやかしたような何かであるとしたい。
 大正時代の日本は、それまでの日本の器量では決してやらなかったふたつのことをやった。
 ひとつは、大正四年(一九一五年)に、北京の軍閥政府に対してつきつけ、恫喝でもって承認させた「対華二十一ケ条の要求」といわれているものである。~中略~
 ついで、大正七年(一九一八年)から数年も執拗につづけられた「シベリア出兵」である。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて 北方の原形 (文春文庫)

  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: Kindle版

P150
 いわゆる「日比谷焼打ち事件」のことで、司馬さんは、これを「魔の季節への出発点」と、とらえました。当時の日本人は何もわかってはおらず、よその国に対して強硬に出て、威勢のいいことを言うことが正しいと信じ切っていました。
 実際には、日本の軍隊は戦線が伸びきって補給もままならず、一刻も早く、妥協してでも講和を結ばないといけない状態にありました。しかし、国内の新聞はきちんとした報道をしません。また政府も日本軍が、じつは苦しいという事実を敵に知られてしまっては講和がうまく運ばないので、真実を国民に説明できませんでした。国民も先勝に浮かれて正しい判断ができず、ただ政府の弱腰を非難して外交担当者の家を取り囲み、日比谷で暴動を起こす始末でした。
 日露交渉にあたった小村寿太郎は、帰国した横浜港で自分の顔を見て、思わず「生きていたのか」と言ったそうです。

P152
 日露戦争に一応勝ったということで、この後の日本人は謙虚さを失っていきます。
日清戦争の勝利によって中国に強い優越感を持ったところに、今度は白人の国に勝ったことで、「世界の一等国に仲間入りした」と言い始めます。
一方で、当時はまだ兵器未国産ではそろえられない小さな国という自覚もあり、その分は士気や教育訓練で補っているという意識がありました。
 日本人というのは、前例にとらわれやすい「経路依存性」を持っています。第二章で触れた「合理主義」の対極にある日本人の性質が「前例主義」(経路依存性)です。日露戦争の勝利の経験も、この「前例」にされてしまいます。
その結果、天佑があるから日本軍は士気が高く兵器・兵力の不足をよく補って勝てるという議論が横溝してしまいます。
 それを司馬さんは特に問題視していたと思います。

P155
 (住人注;日露)戦争で勝った者が華族になり、場合によっては帝国議会の貴族院の議席さえ世襲できるのを見せてしまったのですから、新たに軍隊に入ってくる若者、特に維新で賊軍にされてしまった奥州越の出身者たちも、薩長出身者におくれをとらじと、日露戦争のまねっこ戦争を考えて、自分が華族になる姿を想像するのは当たり前です。
 しかも青少年期に、日露戦争の大陸軍・大海軍の栄光を見て、軍人での立身出世をめざした人たちです。冷静に世界情勢や日本の国力を分析して、軍を縮小しようなどとは思うはずもありません。
海軍の人たちは失業するわけにいかないので、大きいままの海軍を維持して、今度は新しい仮想敵を求めます。ロシアの艦隊を破った後ですから、それはアメリカということになる。司馬さんが理想とした明治のなかに、「鬼胎の時代」の萌芽があったのです。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史
磯田 道史 (著)
NHK出版 (2017/5/8)

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2017/05/08
  • メディア: 新書

 

小倉北区 馬島

2024年12月27日金曜日

親類づきあい

 さて祖父が死ぬると、古い親類は「じいさんの死んだことだし、親類のつきあいはやめにしよう」と何軒かの家からいって来た。
それでそういう家はまったく他人になっていったのである。親類は家についたものであるはあるが、同時にその家の主人、主婦についたもの、とくに老人の意志によることが多い。
親類づきあいは普通従兄位までの間でおこなわれるが、義理がたくすれば再従兄(またいとこ)までがその範囲になる。それも、相手の家との話しあいによってきまる。
 現在私の家でも母は正月のあいさつ、盆の先祖礼にあるいている。しかし妻はほとんどあるいていない。このようにして世代ごとに家の行事もあらたまっていくようである。


忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P208

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: Kindle版

 

小倉北区 藍島

2024年12月26日木曜日

晦日(つごもり)の夜

~前略
大晦日の夜は、大変暗いのに、松明などをともして、夜半過ぎまで、人の家を尋ねて走り廻り、何ごとだろうか、大げさに騒ぎ立てて、足が空に浮いているように、あたふたやっているのが、明け方からは、さすがに静まってしまったのは、旧年の名残が惜しまれて心淋しいものである。死んだ人の霊が、帰って来る夜だといって、大晦日に精霊を祭るわざは、この頃はもう京都にはないのを、関東の方ではまだ今でもやることになっていたのは感慨深いことであった。
 こうして、明けてゆく元旦の空の景色は、別に昨日と変わったとは思われないけれど、前日にひきかえて、清新な珍しい気持ちがする。都大路(大通り)の様子も、門松を立てつらねて、陽気にうれしそうなのは、また特別な感じがするものである。  

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
第十九段

 

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

徒然草 (講談社文庫 古 3-1)

  • 作者: 吉田 兼好
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1971/12
  • メディア: 文庫

 

世の定めとして、大晦日が逃れられない闇夜であることなど、天の岩戸の神代このかた分かりきっているではないか。それなのに、人はみなともすれば世渡りに油断し、毎年ちょっとした胸算用の違いから、大晦日の決済ができずに困り果てる。めいめい心がけが悪いのだ。まったくこの一日だけは千両にもかえがたい>(住人注;胸算用)
 この当時は太陰暦が使われていたから、大晦日は月の出ない闇夜である。その闇の暗さは、総決算日の暗鬱な雰囲気そのものだった。

西鶴という鬼才―新書で入門
浅沼 璞 (著)
新潮社 (2008/02)
P25

 

西鶴という鬼才―新書で入門 (新潮新書)

西鶴という鬼才―新書で入門 (新潮新書)

  • 作者: 浅沼 璞
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/02
  • メディア: 新書

 

 

 

私は外地で十回、新年を迎えましたが、いつもわびしかった。パリでもワシントンでも、大晦日の十二時に男女が頬にキスして賑わうが、クリスマスの祭りの後の新年だから、一月一日の朝はとりたててどうということはない。北京や台北でも、正月は旧暦(農歴)に従い春節を祝うから、一月一日は事務的に一日休むだけなのです。
 だが、この日本の元日とはなにか。神道的雰囲気とは何か。元日の朝早く明治神宮に行くと、外国人は日本人は宗教的な国民だと驚きます。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P240

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書
京都 貴船神社

2024年12月25日水曜日

犬はあなたを救う

P193
(住人注;犬を飼ってない人とくらべると)犬を飼っている人は日常のストレスを上手に乗り越えられ、生き方が穏やかで自信もあり、鬱になりにくいことがわかった。

P197
犬を飼うとなぜ良いのか。その理由については、いくつか説がある。毎日散歩に連れていくことが、飼い主の肉体的・精神的健康にプラスになるという説。
犬は批判などしない「究極の友だち」になれるからだという説。しかも犬はあなたの心の奥深くにある悩みに辛抱強く耳を傾け、あなたの秘密を誰にももらさない。
そうして見ると、犬は毛むくじゃらの耳と濡れた鼻をもった、低賃金で働く献身的なセラピストである。それは、看護師に手を握られると患者の心拍数が落ち着く効果と同じだ。

 だが研究者の多くが大きなメリットとしてあげているのは、犬を飼うと人とのふれあいが増えることだ。 

その科学が成功を決める
リチャード ワイズマン (著), Richard Wiseman (原著), 木村 博江 (翻訳)
文藝春秋 (2012/9/4)

その科学が成功を決める (文春文庫 S 10-1)

その科学が成功を決める (文春文庫 S 10-1)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/04
  • メディア: 文庫

 

野犬? 北九州市 皿倉山

2024年12月24日火曜日

巡礼

  「巡礼」という宗教行為は、巡礼し巡拝する人間と神々や仏・菩薩たちとの精神的な出会いを象徴する行為であった。
いうまでもないことだが、聖地や霊山への道行きの旅の中で、巡礼者たちは神や仏のイメージを思い浮かべつつその加護を祈っている。彼らは現世利益という約束手形に期待の胸をふくらませながら、おごそかな社殿や伽藍に憧憬のまなざしを向けているのである。

 受難のたびにも似た長い巡礼の旅路を終えたとき、彼らは慈愛の光にかがやく仏・菩薩のふところに包みこまれ、恍惚感にひたる。そして神域の森厳なたたずまいに一切の汚れが洗いながされ、心身の蘇りを確信するのである。
思うに、「巡礼」という行為を通した神や仏との出会いは、もう一つの人生の発見へと彼らをみちびくのではないであろうか。

山折 哲雄 (著)
神と仏
講談社 (1983/7/18)
P174

神と仏 (講談社現代新書)

神と仏 (講談社現代新書)

  • 作者: 山折 哲雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1983/07/18
  • メディア: 新書

 

P188
現代の私たちがクリスマスをお祝いしたからといって、皆がキリスト教を信仰しているわけではない。
同じように江戸時代の人々も、伊勢に行くからといって神道に熱心なわけではないし、大山(おおやま、神奈川県)に行くからといって山岳信仰者であるというわけではない。
 江戸時代になると、やはり目的は行楽や旅の楽しみなのである。
~中略~
しかし、本当にそこに信仰心はないのだろうか?江戸時代、神事や仏事を行なうための信者の集りである講は、現代に比べると膨大な数だった。そこには特定の宗教の信仰心というより、生活に溶け込んだ信心があったのではないか。

P191
「信仰心」というほどのものでなくとも、そこに「信心」が働いていたのは間違いない。信心とは、人知を超えた力を感じ取って、そこに安泰と幸運を祈ることである。

田中 優子 (著)
江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか? 落語でひもとくニッポンのしきたり
小学館 (2010/6/1)

 

江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか? 落語でひもとくニッポンのしきたり (小学館101新書)

江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか? 落語でひもとくニッポンのしきたり (小学館101新書)

  • 作者: 田中 優子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/06/01
  • メディア: 単行本

 

 私は死の国を彷徨していた。どういうわけかそこが死の国であることはわかっていた。不思議に恐怖は感じなかった。
ただ恐ろしく静かで、沈黙があたりを支配していた。私は、淋しさに耐え切れぬ思いでいっぱいだった。
 海か湖か知らないが、黒い波が寄せていた。私はその水に浮かんでいたのだ。ところが水のように見えたのは、ねとねとしたタールのようなもので、浮かんでいた私はその生暖かい感触に耐えていた。
 私のそばには一本の白い腕のようなものがあって、それが私にまとわりついて離れなかった。その腕は執拗に私をタールのような水に引きずり込もうとしていた。
どこまでも、どこまでも離れようとしない。私は白い腕から逃れようとあがいていた。
 あれは誰の手、私の手ではあるまい。でも誰の手であろうか。こんな気味の悪い経験をしたことはなかった。
~中略~

 下は見渡す限りのスラムだった。荒れ果てて人が住んでいる形跡はない。それがさっきのタールのような海に続いていた。塔の上には一本の旗が立っていた。それが風に翻っているのが、夜目にもはっきりとわかった。これは死の国に相違ない。

それならば神様がいるかと思って探してみたが、どこにもその形跡はなかった。
 こんなところまできてしまったからには、もう帰るわけにはいくまい。ものすごく寂しかったが、不思議に恐怖感はなかった。でも、あんな孤独感を味わったことはなかった。

 もう諦めていたのに、目を覚ましたのはのは明け方であった。まず目に入ったのは妻の心配そうな顔だった。寝ずに見守っていたので。安堵の気持ちが表情に表れている。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P16

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

  • 作者: 多田富雄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/10/03
  • メディア: Kindle版

 

 

一二 季路、鬼神に事(つか)えんことを問う。


子曰わく、未だ人に事うる能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能く鬼に事えん。


曰わく、敢えて死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。


先進篇


      論語

         孔子 (著), 貝塚 茂樹

         中央公論新社 (1973/07)

         P299

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫

 

椿大師「椿堂」大分県豊後高田市黒土

2024年12月21日土曜日

帰っておいで

P113
 こうした現象(住人注;大都市部の自治体における「過疎」)は、地方の大都市間でも見られる。同じ福岡県の政令指定都市であっても、北九州市は(住人注;社人研が2010年の国勢調査に基づいて予測した、2040年の人口が)19.7%も減るのに、福岡市は1.7%にとどまる。年齢別の増減まで比較すると、高齢者が大きく増える自治体、勤労世代が激減する自治体など事情はそれぞれ異なる。こうした事情を考慮せず、「大都市部と地方」といゆ単純な発想で人口減少対策を考えたのでは成果は上がらない。

P114
 実は、ここ(住人注:東京への一極集中)でも重要な視点が欠落しがちだ。往々にして東京に住む人が今後味わう”医療・介護地獄”が忘れられるのである。これは近い将来、深刻な社会問題になることだろう。
東京一極集中の是正を考える場合、この問題の解決を避けて通ることはできない。
「2025年問題」の項でも指摘したが、東京圏の高齢者が激増するのは、経済成長期以降に上京した”かつての若者”が年齢をを重ねたことに加え、現在の勤労世代が地方の老親を呼び寄せるからだ。
~中略~
 東京は、日本最大の医療集積地であるが、前述したようにビジネス中心の街づくりをしてきたため、介護を要する高齢者用のベッドが極度に不足している。仮に、高度な治療を受けられたとしても、その後、転院先や療養先に困ることになる。
 同データ集によれば、介護保険施設のベッド数と高齢者住宅を合わせた高齢者向けのベッド数は、75歳以上1000人あたり100で全国の121を大きく下回る。東京23区の一部では危機的な状況にある。

P116
 こうしたアンバランスを考えれば、退職後は東京から地方に「脱出」するのも1つの選択肢となろう。
東京一極集中と地方の人口減少という2つの課題の同時解決ともなる。人口減少時代は、国民1人ひとりにどういう老後を選ぶかを問うているのである。

P125
 もう1つ大きく誤解されてきたことがある。「地方からの人口流入が続く大都市部では若者は増え続けている」との錯覚だ。
生産年齢人口について2010年と2015年の国勢調査で増減を比較してみると、東京都は約11万6000人減っている。国土交通省の「首都圏白書」(2017年)によれば、首都圏では2000年を境に減少を続けている。
「人口は増えているのに、生産年齢人口は減っている」というのが、この十数年の間に、東京周辺で起こっていることなのだ。この流れはますます強まるだろう。

P126
 要するに、日本の少子高齢化と人口減少の実態は、大都市部と地方で大きく異なっているのだ。
大都市部では総人口はあまり減らず、高齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の実数はさほど増えるわけではない。

 

P130
 勤労世代が減れば、税収増も期待できず、高齢者向け政策を展開しようにも財源が追いつかない。財源問題を解決するには、自治体は税金や社会保険料のアップと、行政サービスのカットを同時に行なう「ダブル負担増」に踏み切るしかない。しかも、高齢者は長期的に増えるため、それは繰り返し行わざるを得ない。
 つまり、大都市部に住み続ける限り、負担増とサービス低下に繰り返し見舞われるということだ。住民の生活水準は低下し、街そのものが活気と魅力を失う。やがて、大都市部の自治体は行き詰るだろう。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司 (著)
講談社 (2017/6/14)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書 2431)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書 2431)

  • 作者: 河合 雅司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: 新書

<椿大師「椿堂」大分県豊後高田市黒土/div>

2024年12月19日木曜日

危険なバブルの見分け方

 では、危険なバブルなのか、それとも経済の自然な発展なのか、判断する基準はあるのだろうか。
これは非常に難しい。しいて言えば、次の3つの点に注目すべきだろう。
①経済見通しの過度な自信
②信用取引の拡大
③投資初心者の新規参入
~中略~
 自分の周りに株式投資を始めたという人が増えたら、それは十分に危険なバブルのサインと言えるだろう。


世の中の罠を見抜く数学
柳谷晃 (著) 
セブン&アイ出版 (2013/3/1)
P150

世の中の罠を見抜く数学

世の中の罠を見抜く数学

  • 作者: 柳谷晃
  • 出版社/メーカー: セブン&アイ出版
  • 発売日: 2018/10/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

椿大師「椿堂」大分県豊後高田市黒土

云いわけすべからず

子孫、年わかき者、父母兄長のとがめをうけ、いかりにあはば、父祖の言の是非をゑらばず、おそれつつしみてきくべし。
いかに、はげしき悪言をきくとも、ちりばかりも、いかりうらみたる心なく、顔色にあらはすべからず。かならず、わが理ある事を云いたてて、父兄の心にそむくべからず。只ことばなくして、其せ(責)めをうくべし。
是子弟の、父兄につかふる礼なり。父兄たる人、もし人のことばをきき損じて、無理なる事を以て、子弟をしゑた(虐)げせむとも、[子供において]いかるべからず。
うらみ、そむける色を、あら(顕)はすべからず。
云いわけする事あらば、時すぎて後、謝すべし。或(は)別人を頼みて、いはしむべし。
十分に、われに道理なくば、云いわけすべからず。

和俗童子訓 巻之二 
総論 下

養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P233

養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/04/09
  • メディア: 文庫

 

子曰わく、父母に事( つかえて )は幾( ようや )くに諫め、志の従わざるを見ては、また敬( つつし )んで違( たが )わず、労( うれ )えて怨みざれ。


~中略~


先生がいわれた。


「 父母のおそばで用事をしていて、誤りを見つけたときには、まず遠まわしに諫言申し上げよ。
諫めをとりあげられない意向と察したら、つつしんでこれに違背しないようにし、
心の中では憂慮していても、怨みをいだいてはならない」


里仁篇

                  論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
    P105

 

論語 (中公文庫)

論語 (中公文庫)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫

 

 

 

わたしたちは、「何かをしようとしている」としょっちゅう口にします。減量であったり、運動であったり、職探しであったり。
でも、ほんとうのところは、しているのか、していないのかどちらかなのです。「しようとしている」というのは言い訳に過ぎません。
何か事を起すには、最低でも一〇〇パーセントの力を出して実現のために努力しなくてはなりません。一〇〇パーセントの力を出す覚悟がないなら、目標が達成できなかったとき、責めるべきは自分しかいないのです。
 言い訳は無意味、専門的に言えばたわ言である、とバーニー(住人注;スタンフォード大学の機械工学教授バーニー・ロス)は教えています。
人は、するべき努力をしなかったという事実を繕うために言い訳をします。
~中略~
できなかったことの言い訳や理由は、「もっともらしく」聞こえるなら、社会的に容認されるとバーニーも認めています。しかし、人に対して言い訳をしなくていけないと感じたとしても、自分自身には言い訳をしてはいけません。

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ (著), Tina Seelig (原著), 高遠 裕子 (翻訳)
CCCメディアハウス (2010/3/10)
P193

 

新版 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

新版 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2020/11/27
  • メディア: Kindle版
富貴寺 大分県豊後高田市田染蕗

2024年12月18日水曜日

アーンツ・シュルツの法則

 

19世紀中期,Arndt Rudolph と Schultz Hugoは,次のような法則を提唱した。
「あらゆる刺激は,それが非常に弱い刺激である場合,生体の反応を刺激することはない。しかし,ある刺激域に達すると,生体の反応を促進させ,強い刺激は逆に抑制させる。
さらに強い刺激は,生体の反応を停止させる」という法則であり,アーンツ・シュルツの法則(Arndt-Schultz Law)と呼ばれている。

皮膚科・形成外科医のためのレーザー治療
渥美 和彦 /荒瀬誠治/大城俊夫/中島龍夫 (編)
メジカルビュー社 (2000/08)
P52

 

 

皮膚科・形成外科医のためのレーザー治療

皮膚科・形成外科医のためのレーザー治療

  • 出版社/メーカー: メジカルビュー社
  • 発売日: 2000/08/01
  • メディア: 単行本

 

京都北白川天然ラジウム温泉えいせん京 【旧 源泉湧出元 北白川天然ラジウム温泉】
https://onsen.nifty.com/kyoutoshinai-onsen/onsen003109/
より引用

 量-反応関係の重要性は500年前,ルネサンス期の内科医パラケルススが「毒性学の第1法則:すべてのものは毒物であり,毒物でないものなどはなく,毒性のなさは量だけで決まる」と明言したとき以来,認識されていた.
つまり,有益な薬でさえ量が多すぎれば毒になり,毒物や細菌も量が少なければワクチン注射のように防護的な反応を引き出す.

リスク 不確実性の中での意思決定
Baruch Fischhoff (著), John Kadvany (著),中谷内 一也 (翻訳)
丸善出版 (2015/4/26)
P70

 

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2015/04/26
  • メディア: 新書

早野 そのラドンというのは、周期表でいうと「水兵」の「へ」のずっと下のほうにあるんです。一番右の列の下の方です。このラドンという元素は、重たいけど気体なんですね。
糸井 重たいけど気体。
早野 うん、気体なんです。岩の中、コンクリートの中、土の中とかに、すごく微量だけれどもウランがあって、そのウランが長い長い年月の中で、あるときα線をぽこっと出して、ラドンになるんです。で、そのラドンは気体なので、地面から出てきて、空気の中に漂ってたりする。
私たちは今この瞬間もラドンを吸っているんです。だから、肺の中で、そのラドンによって内部被ばくしてます。温泉の成分として微量のラドンを含むものに療養効果があるとされる一方で、住居内における高濃度のラドンは健康リスクがあることもわかっています。
糸井 あ、そうなんですか。でも、ラドン温泉は大丈夫?
早野 ラドン温泉、線量としては非常に低いですから。お湯に浸かってる時間が、そんなに長いわけじゃないですし・・・・・。

知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P142

 

知ろうとすること。(新潮文庫)

知ろうとすること。(新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: Kindle版

京都という町はおそろしい町

  そのうち、だんだんわかってきたことだが、この青年は、きのうきょう、西本願寺に出入りしたのではなく、という。
根掘り葉掘りきいてみると、おじいさんもひいじいさんも、
「お菓子のご用はおへんか」
ときいてまわったそうだし、さらにきいてみると、三百数十年前の天正年間から、れんめんと「お菓子のご用」をきいてきたという。
 そのころ、西本願寺は、いまの大阪城の位置に、城郭同然の巨刹を築いて、天下の門徒を支配していた。
~中略~
 その石山合戦の兵糧方だったのが、この青年の先祖だというのである。
この菓子屋さんには、
松風(まつかぜ)
という名菓があり、それは石山合戦のときの携帯口糧だったという。
~中略~
京都という町は、これほどにおそろしい町なのだ。
(昭和36年11月)


司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P64

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫

 


西本願寺 唐門[京都]