2024年12月14日土曜日

吉良上野介

P31
―吉良家
 これも足利家の子孫である。そのため、吉良家は「高家」となり、破格の優遇をうけた。ひとえに血統の良さによる。
 高家は禄高派少ないが、官位はずば抜けて高い。その恩恵を最もうけていたのが、「吉良上野介」であった。吉良家の家禄はわずか四千二百石にすぎない。ところが吉良上野介の官位は恐ろしく高い。
―従四位上・左近衛権少将
という破格のものであった。
~中略~
たしかに、吉良の位階は、浅野より三ランク高いだけである。しかし、この三ランクの差は大きい。天と地ほどの差である。というのも、吉良の従四位上といえば、当時、加賀百万石の前田綱紀の位と同じであった。つまり、四千二百石の旗本吉良家は、百万石の前田家と位のうえでは同格だったのである。

P32
 彼(住人注;吉良上野介)には、家柄と官位のほかに、誇るべきものが何もない。吉良の頭のなかでは、「従五位下」の浅野内匠頭など、所詮、ボロ大名にすぎなかった。吉良は、本家筋の足利(喜連川)家とちがって、大名の格をあたえられていないだけに、大名に対してえもいわれぬコンプレックスがあり、官位の低い地方の小大名には、あからさまに強気に出た。
(下賤な田舎大名め!)
内心、そう思うことで、溜飲をさげていた。内匠頭の本家は、広島藩四十二万六千五百石であるが、ここの当主・浅野綱長でさえ、位階は「従四位下」であり、吉良よりも下であった。
吉良上野介が、赤穂五万三千石の浅野内匠頭を馬鹿にしきっていたのは、ひとえにこの官位の差によるものであった。おそらく、吉良は内匠頭を遠慮なく罵倒したのであろう。そして、あの刃傷(にんじょう)事件がおきてしまったのである。
P36
 内匠頭は城持大名として武威を張ることが自尊心の柱になっていた。ところが、吉良上野介のもとで、勅使接待役などをやらされ、朝廷だの官位だの持ち出され、さんざんに自尊心を踏みにじられた。
内匠頭は、吉良の皺づらをみているうちに、めらめらと憎らしさがこみ上げてきて、ついにそれが暴発、発作的に切りつけてしまった。 

殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)

殿様の通信簿

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  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/06/01
  • メディア: 単行本


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