もし、吉良邸がこ本所に移転しなかったら、赤木浪士の討ち入りはなかった。 これは断言できる。
都内にあった旧吉良邸のすぐ近くには北町奉行所があった。1604年に設置された北町奉行は、司法、行政、裁判所、検察、警察、刑務所、消防などを司る強力な武装機構である。
さらに旧吉良邸の呉服橋門から8丁掘にかけては町奉行所の与力、同心の住居屋敷が展開していた。その数は幕末には7000人余といわれ、治安警備関係者の根城となっていたのだ。
赤城浪士がいくら事前準備しても、江戸城郭内の吉良邸へ討ち入りなど決してできない。それは幕府警備機構の面目にかけて許されない。
その吉良邸が江戸の中心部から川向こうの倉庫街の本所へ移転した。倉庫街はどこも薄暗くて人目がないと相場は決まっている。
~中略~
では、誰が吉良邸を移転させたのか?その答えは簡単だ。それは江戸幕府である。~中略~ 江戸幕府が赤城浪士の討ち入り舞台「本所」を整えたのであった。
日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 (著)
PHP研究所 (2013/10/3)
P140
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