P24
私は眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
私は目覚め気づく、
生きることは義務だと。
私は働く―すると、ごらん、
義務はよろこびだった。
タゴール(Rabindranath Tagore(一八六一~一九四一)。インドの詩人・小説家・哲学者。宗教的な抒情詩をベンガル語で書いた。一九三一年ノーベル賞受賞。
そういうわけで、生きるということは、ある意味で義務であり、たったひとつの重大な責務なのです。たしかに人生にはまたよろこびもありますが、そのよろこびを得ようと努めることはできません。よろこびそのものを「欲する」ことはできません。よろこびはおのずと湧くものなのです。帰結が出てくるように、おのずと湧くのです。
しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。
しあわせとは、タゴールの詩で義務といわれているものを果たした結果なのです。
~中略~
いずれにしましても、しあわせというものは思いがけず手に入るものにすぎず、けっして追い求められないものであるわけですから、しあわせを得ようとすれば、いつも失敗することになるのです。
P173
「この各個人がもっている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、―意識されれば―人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。
もっている仕事、あるいは待っている愛する人間、に対してもっている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することが決してできないのである。彼はまさに彼の存在の「何故〔理由・根拠〕を知っているのであり、―従ってまた「殆どいかなる如何に〔苦しみの状態〕」にも耐え得るのである」
(「夜と霧」(フランクル著作集1、みすず書房、一九六一―一八八)。
「この各個人がもっている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、―意識されれば―人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。
もっている仕事、あるいは待っている愛する人間、に対してもっている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することが決してできないのである。彼はまさに彼の存在の「何故〔理由・根拠〕を知っているのであり、―従ってまた「殆どいかなる如何に〔苦しみの状態〕」にも耐え得るのである」
(「夜と霧」(フランクル著作集1、みすず書房、一九六一―一八八)。
解説 山田 邦男
それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
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