P182
総力戦として戦われた世界大戦により、近代における拡大された決闘としての「戦争」は終焉する。
大戦直前から、敵の銃後への攻撃を各国とも検討していた。グロチウスが最も強調した戦闘員と非戦闘員の峻別を否定しようとする動きに他ならない。
P183
この大戦では、英仏露独墺の欧州五大国が自らの総力を出し合うことになる。
大国がお互いに総力を出し合えば、相手の総力を潰すまで終わらないのは必然であった。
~中略~
総力戦を行なえば、勝った側も疲弊するのが常である。海軍力で劣勢であるドイツは、潜水艦による無制限通商破壊を行い、イギリスも護送船団方式で対抗する。
英独は双方とも疲弊し、中立国であったアメリカに世界第一位の経済大国の地位を奪われる。
P186
さて、総力戦における本番は、軍事衝突が終了してからである。アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、口では「勝利なき平和」などと寛大な講和を唱えながら、いざドイツが和平を申し出るや、「皇帝の退位と共和主義の採用」などと、相手国の国体変更を要求した。事実上の無条件降伏要求である。
帝政ドイツは力尽きるまで戦い、革命により共和政体へと変更する。
さらに、一九一九年のパリ講和会議こそ、敗戦国ドイツへの総力追撃となった。
英仏に加え、ドイツを裏切ったイタリア、最後に参戦したアメリカ、そして日本が大国として会議の中心となった。
P189
ウィルソン流の平和主義者は、この世から戦争を根絶しようとした。しかし、それでこの世からあらゆる暴力を根絶できるわけではない。平たく言えば、決闘を根絶した後に残るのは、喧嘩と私刑(りんち)だけである。
第一次世界大戦をもって世界は「戦争」と決別し、次の総力戦を経て、再び宗教戦争の時代のような秩序のない暴力に回帰していくのである。
P191
たとえば、第一次世界大戦で勝者の連合国は、敗者であるドイツ皇帝ウィルヘルム二世を開戦責任により裁こうとした。宣戦布告に伴う戦争行為は、国際法にまったくの合法である。しかし、復讐心に燃えた英仏などの連合国は、敵であったカイザー(ドイツ皇帝)を犯罪者として裁こうとしたのである。
これは亡命先の中立国オランダが拒否したので成立しなかったが、後のニュルンベルク裁判で問われた「事後法による裁判」、すなわち「その時点で犯罪ではなかった行為を、後に成立させた法によって裁く」という刑罰法定主義の否定は、第一次世界大戦の結果によって生まれたのである。
グロチウスは「戦争にもルールがある」と提唱したが、世界大戦により人類の中心を占める白人たちは、自らが築いてきた文明の掟すらもかなぐり捨てたのである。
P199
総力戦においては、占領からが本番である。日本でも数少ないが、総力戦を正しく理解していた人々がいた。総力戦研究所の講師であった西内雅(ただし)は、この段階では総力追撃が行われるとする(西内雅「総力戦の一戦史[下]「世界と日本九月号、一九八〇年)。
つまり、この段階では、「敵が戦争意思を放棄すれば、武力戦は中止される。しかし、その他政治、経済、思想の手段を尽くして、戦争目的の達成を確乎(かっこ)たらしめる。
そのとき、原則としては敵を徹底的に破壊し、再び国際社会で雄を競う能(あた)はざらしめる。従って、敗者は武力戦を中止すると共に、総力防衛・総力退却によって、国家・伝統・文化・社会の保持に努める必要がある。しかし、敗者がかような措置をとることは甚(はなは)だ困難であって、滅亡、少なくとも大きな禍根を残す公算が極めて大である」との様相に至る。
まさにアメリカ占領軍が南北戦争と同じように日本でしたことである。
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