2024年12月5日木曜日

震災と浄土教

宮崎 これは何の実証的な裏付けもない与太話ですが、この震災を経験して、浄土教の成立機序を理解できたような気がしました。まったく文献的根拠はありませんから、理屈の上で自分が納得できた、というだけのお話ですが・・・・。
 本来仏教は自力聖道門で、実戦的にも理論的にも完結していたと思います。善因楽果、悪因苦果、個々の行業とそれに応じて各々が受ける果報の因果律。そして、それを超越する悟りというシンプルな体系から始まり、少しずつ複雑化、緻密化していった。
 ところが因果線をいかに複数化し、それでも足らずに因果的縁起を相依相待の縁起に展開してみても、なお説明できない重大な問題が残った。
 それが大災害や戦乱、飢餓や伝染病などによる大量死です。その死者のなかには、善人もいれば、凡夫もいれば、悪人もいたに違いない。侍もおれば遊女もおったに相違ない。僧侶も貴人も百姓も役人も盗賊もいたろう。それなのに皆等しく、無差別に、文字通り「非業の死」を遂げてしまう。
この場面では仏教の伝統的な業報観は成り立ちません。

 かかる事態に対処すべく、各私の行業の如何を問わず、阿弥陀如来の本願に乗じて等しく救われるという信仰が生まれ、同時に「万人が悪人」という思想が生まれた。そうでなくては天災、戦、飢餓、疫病などによる厖大な死者を一挙に救済することができなかったからです。

林田(住人注;林田康順) そうかもしれないですね。ちょうど法然上人がメジャーデビューを果たす大原問答の前年に、鴨長明が「方丈記」の中でおおきく取り上げた元歴大地震(元歴二<一一八五>年七月九日)が起こり甚大な被害が京周辺を襲います。

宮崎 浄土信仰が生まれ、拡がり、根付いた土地や時代には、おそらく大量死を伴う惨事が相次いでいたのではないかと思います。そういう意味では、浄土教は、従来の伝統的な仏教の限界をブレーク・スルーした、と言えると思うのです。

宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥 (著)
サンガ (2011/12/22)
P243

宮崎哲弥 仏教教理問答

宮崎哲弥 仏教教理問答

  • 作者: 宮崎哲弥
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 少し話はずれるが、こんなとき私は、人間という動物はつくづく、「因果関係を把握しよう」という強い欲求をもった動物だなあと、改めて感じる。~中略~ たとえば、山を歩いていて突然、上か木の枝が落ちてきたら、無意識のうちに、なぜ落ちてきたのか考えてしまう。
 道の脇の木の根元に大きな穴があいていたら、それはなぜあいたのか、誰が掘ったのか考えてしまう。
 人間とは、そういう性質をもった動物なのである。
 そしてその特性が、伝説や神話や宗教の発生や内容に影響を与えていることも確かだろう。
考えてみれば、伝説や神話や宗教はすべて、世の中で起こる出来事について、その解釈の仕方はいろいろだが、とにかく因果的な説明を与えている。

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学
小林 朋道 (著)
築地書館 (2007/03)
P95

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学

  • 作者: 小林 朋道
  • 出版社/メーカー: 築地書館
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本


科学というものが、条件をいろいろ研究して行くにもかかわらず、今日までどうしても迷信というものが絶えない。
その根拠はどこにあるかというと、人間というものには科学超越した一つ根本的本能的ものがある。
迷信の根拠は科学の世界の埒の外にでている。あるいはその世界よりももっと深い処に根ざしているのである。
その根が断たれない以上は、どうしても迷信というものは残る。科学がいかに進歩しても迷信の根を断つことはできない。
~中略~
科学の力というものははっきりしたところから出ている。物を二つにして、そしてはっきり分けるところに科学ができている。ところが迷信や宗教というものはそうでない。
無分別のところから根を出しているのであるから、そこには科学の力も及ばない、届かないところを無分別というのである。そのところから迷信が出ている。宗教が出ている。
~中略~
 神を頼む、仏を頼むということがある。自分の力では及ばないところがどこかにある。
その及ばないところのものを、神と言い仏と言うのである。それを頼んだということになる。
自分の力の及ばない、考えの足りない、わからないということを、どうかしてわかりたい、どうか自分の都合のいいようになりたいという願いから迷信が出ているのである。
だから、このわからぬということが本になっているのであるから、これは科学ではどうしてもわからぬ。それがすなわち宗教の根拠である。~中略~ 知だけではどうしても及ばないところがある。それがあるからここに不安というものがどうしても出て来るのである。

禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P170


禅とは何か (角川文庫ソフィア)

禅とは何か (角川文庫ソフィア)

  • 作者: 鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: 文庫

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