一六 子曰わく、人の己れを知らざるを患( うれ )えず、人を知らざるを患えよ。
~中略~
先生がいわれた。
「 他人が自分を認めないのは問題ない。自分が他人を認めないほうが問題だ。」
学而篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P27
三二 子曰わく、人の己を知らざるを患( うれ)えず、己の能なきをを患えよ。
憲問篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P412
「貞観二年、上、尚書右僕射(しょうしょうぼくや)封徳彝(ほうとくい)に謂いて曰く・・・・・」(論択官第七・第三章)
「「国の平安を保つもとは、ただ立派な人材を得るにある。最近ずっとお前に賢才を推挙させよといっていたのに、まだ一人も推薦したものがない。天下のことは重大である。お前は私とこの心労を分かつべきではないか。お前が賢才を発見していってくれなければ、じぶんはだれをたよりにしたらよいのか」と。
徳彝はこれに答えていった。「私はもとより愚かでございますが、精魂つくさないわけではございません。ただ、いまの世を見まわしてみても、特別な才能ある者が見当たらないのでございます」。
すると、太宗がいった。「前の時代の明君は才器能力に応じて使った。それも同時代に人「才は異代に借らず」で、傅説(ふえつ)や呂尚といった昔の伝説的名臣に会うことを夢見、それに会ってから政治をしたわけではなかろう。いつの時代でも賢才が無いわけではあるまい。
ただそれを野に残して、こちらが知らないことを心配しているのだ」と。
徳彝は、顔を赤くして退出した」。
帝王学―「貞観政要」の読み方
山本 七平 (著)
日本経済新聞社 (2001/3/1)
P104
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