人は恥無かる可からず。
又、悔無かる可からず。
悔を知れば則ち悔無く、
恥を知れば則ち恥無し。
「 言志晩録」第二四〇条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P180
人間は恥を知る心がなければならない。
また過ちを悔い改める心がなければならない。
悔い改めることを知っていれば、いずれは悔い改める必要がなくなり、
恥じる心があれば、いつかは恥をかくことがなくなる。
立志の工夫は、須らく羞悪念頭より、踉脚( こんきゃく)を起こすべし。
恥ず可からざるを恥ずること勿れ。
恥ず可きを恥じざること勿れ。
孟子謂う、
「恥無きを之れ恥ずれば、恥無し」と。
志是に於いてか立つ。
「 言志耋録」第二三条
佐藤 一斎 著 岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P196
どのような志を立てるか考えるには、自分のよくないところを恥じ、他人の良くないところを憎むという気持ちから出発すべきである。
恥しなくてもいいことを恥じることはないが、恥ずべきことを恥じなければならない。
孟子は「自分が恥ずべきことを恥じないでいる、それを恥とすれば恥じはなくなる」といった。
これがわかれば、志は必ず立つものである。
孟子(「孟子」公孫㗅丑上篇)曰く、「私は、四十歳を過ぎてからは心を動かさなくなった」(我四十にして心を動かさず)と。天下国家のことに関与して恐れたり疑念を抱いたりすることなく、自分の身を修めることを「勝れている」という。
~中略~
「大学」に書いてあるように「大人の学問のやり方は、人が天から得た徳を明らかにするのが根本で、民に親しむのは枝葉である」(大学の道は、明徳を明らかにするを本(もと)と為し、新たにするを末と為す)。
学者たる者が最優先課題にしなければならないのは、心を知ることだ。心を知れば、身を慎むようになる。自分の体に配慮したふるまいは礼にかなっている。だから、心も穏やかになる。心が穏やかであることは仁だ。仁は、天の元気の一つである。
天の元気は万物を生み、育(はぐく)む。その心を理解するのが学問の始めであり、終わりでもあるのだ。
~中略~
「論語」(顔淵篇)にも、「孔子はいった。振り返ってみて、良心に恥じるようなことがないなら、何も心配することはないし、何も恐れることはない」(子曰く、君子は憂えず懼(おそ)れず。内に省(かえり)みて疾(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え、何をか懼(おそ)れん)とある。
私がいいたいことは、これ以外にない。日々、心配することも怖れることもなく、内省してみても少しも疾(やま)しいことなどなく、心が平穏で安楽なら、それにまさるものなどないのではないか。
※「大学」(首章) 石田梅岩は、「三綱領(こうりょう)」(明明徳(めいめいとく)、親民(しんみん)、止至善(ししぜん))と呼ぶ「大学の道は明徳を明らかにするに在(あ)り、民に親(あらた)にするに在り、至善に止まるに在り」と別の文「物に本末あり。事に終始あり。先後する所を知らば、則ち道に近し」を一緒にしている。また、「親」を「新」と表記している。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P184
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 2016/09/29
- メディア: 単行本
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