2024年12月14日土曜日

平和と愛を説くヨーロッパ世界もけっこう暴力的

P11
 キリスト教そのものは、平和と愛を説き、イエス自身も徹底して非暴力の精神で、十字架に掛けられて殺されます。それなのに、キリスト教徒は延々と戦争と暴虐を繰り返してきました。
第一次世界大戦も、第2次世界大戦も、ヨーロッパでは、キリスト教徒どうしの衝突です。 それでも、欧米諸国にはキリスト教徒が多いから、戦争ばかりしてきた、とは誰も思わないのです。
 ところが、イスラームの場合には、宗教が暴力的だから信徒も暴力的になると、あっさり信じられてしまいました。
 しかし、そんなことがありうるでしょうか。平和と愛を説くキリスト教を信じた人たちが、あれだけ戦争好きだったのです。 イスラムが暴力と冷酷の宗教だったら、いまごろ世界は破滅しています。ムスリムはいまや、世界の人口の四分の一を占めると言われています。その彼らが好戦的だったら、それこそ収拾がつかないでしょう。

P191
 最初の十字軍が、教皇ウルバヌス二世による聖地奪回の宣言に端を発しているので、キリスト教ヨーロッパにとっては「聖戦」の名目が立てられました。
確かに発端は、宗教的な戦争ではありますが、参加しているヨーロッパの諸侯たちにとっては、途中からそれは、ヨーロッパが強大な力を持って東方世界を侵略し支配するための戦争になっていったようです。
ムスリム側は、定期的に西方の蛮族が襲来すると思っていたことでしょう。 しかし、十字軍がキリスト教徒に対してさえも略奪や殺戮を繰り返したことは、教皇のキリスト教会が暴力的で好戦的だったというよりも、キリスト教徒化したヨーロッパが、ひどく暴力的な性格をもっていたと言うべきかもしれません。
忠誠以来、ヨーロッパでは多くの領主や王が、自分たちの領土をもち、それを拡大しようとしては戦争を続けていきます。そのこと自体は、二十世紀に二度の世界大戦の舞台となるまでつづきます。
 EU(ヨーロッパ連合)という地域連合を作ろうという最初のきっかけには、二度とヨーロッパを戦争による焦土としないという決意がありました。その決意は正しいと思うのですが、そのことに気づくまでに千年以上かかっています。
理性や合理主義を造りだすことにヨーロッパ世界は重要な貢献をしましたが、半面、あまりにも好戦的で、人命を犠牲にすることを厭わない別の顔をもってきたことにも注意を向ける必要があります。

P218
宗教を掲げてテロを起こすということなら、北アイルランド紛争でのカトリックとプロテスタントの抗争もおなじことです。
キリスト教徒の過激派がテロを起こしても、誰もキリスト教という宗教が暴力的であるとか、キリスト教徒はテロリストだ、などと言いません。
現代の世界で、ムスリムとイスラームだけが、好戦性や暴力性によって語られているのです。
 実態からいえば、ほとんどのムスリムが、アメリカとその同盟国によるアフガニスタンへの侵攻(9・11の直後にはじまりました)やイラク戦争を肯定しませんでしたし、武力で、罪のない人びと、とりわけ子供や女性の命を奪ったことのには激しく憤りました。
それは間違いなく事実です。だからといって、テロや武力闘争に打って出るムスリムは、意外なほど少ないのです。

P36
ドイツは、戦後になってナチスを徹底して批判しましたが、ドイツ社会のなかにある異民族に対する排斥の感情や、異なる宗教に対する嫌悪感を克服してはいなかったのです。ユダヤ人に対する非道な行為を反省したはずですが、それは、国内のトルコ人移民やムスリム移民に対する差別に対しては活かされていません。

イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

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  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 新書

 

 日本に住んでいれば、ほとんどの人が人種差別の体験を持つことなく暮らしている。その代わり、差別されている人たちの心もわからない。ヨーロッパ人には有色人種に対して”ある感情”を持っている人々は今でも多い。それが表面に出てこないのは口に出さないからだ。

一度も植民地になったことがない日本
デュラン れい子 (著)
講談社 (2007/7/20)
P92

 

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)

  • 作者: デュラン れい子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/07/20
  • メディア: 新書

 

カント以来、ヨーロッパの思索は、人間本来の尊厳についてはっきりした見解を示すことができました。カントその人が定言命法の第二式でつぎのように述べていたからです。
「あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」
 けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。自分の尊厳を奪われて、経済活動のたんなる手段にされてしまいました。
もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、生きる糧になっているということですらありませんでした。むしろ、人間とその生、その生きる力、その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。
 それから第二次世界大戦が始まりました。いまや、人間とその生命が、死のために役立てられるまでになったのです。 そして、強制収容所が建設されました。収容所では、死刑の判決を下された人間の生命さえも、最後のひとときにいたるまで徹底的に利用されたのです。
それにしても、生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。人間はどれほどその尊厳を奪われ、おとしめられたことでしょうか。

それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
P4

 

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: Kindle版

 

 ミッション左翼の学校では日の丸掲揚や君が代に反対し、特定の国を他国よりも愛するのは平等の精神に反するという。
私はそういう人には「特定の女を妻として他の女よりも愛するのは平等の精神に反しないのですか」と茶々をいれるのですが、西洋のキリスト教学校で自国の国旗掲揚や国歌斉唱に反対するところはあるのか。
 自分たちの主張を裏づけるために、日本人は日の丸の旗を揚げて悪いことをしたから、と日本の歴史をことさら悪く言いだす人もいます。
西洋人が外地や植民地にキリスト教の寺院を建てたのは文明開化の事業だとして肯定するが、日本人が台北に神社を建てたのはけしからんことのようにいう。しかし、多くの日本人は神道について学校でも家庭でもほとんど習わないから、いいのか悪いのかも考えたことがないというのが正直なところでしょう。、

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P23

 

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書

 

 佐藤 ~前略

 誤解を招く表現かもしれませんが、ヨーロッパというのは、基本的に戦争が好きな国々です。だから二度も世界大戦を起した。さすがに二度目のときは懲りたのでしょうが、以来、半世紀以上が経ち、その教訓は忘れ去られたかもしれません。
 池上 第一次世界大戦(一九一四年)からだと一〇〇年ですからね。
 佐藤 そうすると、再びヨーロッパが火薬庫になる可能性もゼロではありません。ユーゴスラビアにしても、ウクライナにしてもそうです。
 いま起きている問題は、すべて克服したはずの古い民族問題です。自分たちの民族は一つの政治単位をもたないといけない、文化的に共通な人々は政治単位をもたなければいけないという国民国家神話の復活です。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P114

 

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本

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