貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は知者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。
古今その例少なからず。
我日本国人も今より学問に志し、気力を慥(たしか)にして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
道理あるものはこれに交わり、道理なき者はこれを打ち払わんのみ。
一身独立して一国独立するとはこのことなり
福沢 諭吉 (著)
学問のすすめ
岩波書店; 改版版 (1978/01)
P32 学問のすゝめ 三編
およそ人は自主独立すべきものである。
すなわち自営自活の精神は、
実に同胞相愛の至情とともに、
人生の根本をなすものである。
「渋沢栄一訓言集」処事と接物
渋澤 健 (著)
巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」
講談社 (2007/4/19)
P78
日本という国家を近代化させて強国にするには輸送用機械が必要だから、武士だけれども鉄道技師になろうと思って行く―これが格調高いリアリズムです。明治のリアリズムは、官や国家に対する宗教性をおびた信頼を背景に、お国のため、日本国家のために産業を興すという形で現れたのです。
明治のリアリズムが徹底されていたのは、エリートだけではありません。
眞葛香山という陶芸家がいます。彼は横浜を拠点に活動していましたが、外貨を稼ぐために自分は陶磁器をつくるのだという意思が非常に強かった。そこには当然自分が儲けるためもあったでしょうけど、彼は日本を強くするために焼き物を焼いたわけです。
東芝のもとになっていく会社をつくった発明家、からくり儀右右衛門(田中久重)もそうです。からくり儀右右衛門は、最初は趣味でつくったからくり人形の興業で稼いでいたのですが、のちに佐賀藩や久留米藩から「お国のためだから君の頭や技術を使わせてくれ」と頼まれると、一銭にもならないのに協力を惜しみませんでした。
彼は「別に金儲けのためにやっているのではない、国をよくするためにやっているのであって、もうからくりはやらない」と言ったとされています。
やはり庶民や技術者にまで、こうした格調の高いリアリズムが浸透していたことが、明治期に国が発展したひとつの理由ではないでしょうか。
じつは現代の日本人が、明治の人たちに比べて弱いのは、そのような部分です。~中略~
秋山真之は、アメリカに留学して海軍の軍事技術を勉強するわけですが、「自分が一日休むと、日本の海軍は一日遅れる」と公言しています。
そのぐらい明治の人は国家レベルの問題を、自分の問題としてとらえていました。
福沢諭吉の言葉に「一身独立して一国独立す」というものがありますが、「一身独立」というのは、自分がきちっと自らの商売や役割を果たすことで、みんながそれをやれば「一国独立」、つまり国はきちっと回っていく、という意味です。
「司馬遼太郎」で学ぶ日本史
磯田 道史 (著)
NHK出版 (2017/5/8)
P130
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