子孫、年わかき者、父母兄長のとがめをうけ、いかりにあはば、父祖の言の是非をゑらばず、おそれつつしみてきくべし。
いかに、はげしき悪言をきくとも、ちりばかりも、いかりうらみたる心なく、顔色にあらはすべからず。かならず、わが理ある事を云いたてて、父兄の心にそむくべからず。只ことばなくして、其せ(責)めをうくべし。
是子弟の、父兄につかふる礼なり。父兄たる人、もし人のことばをきき損じて、無理なる事を以て、子弟をしゑた(虐)げせむとも、[子供において]いかるべからず。
うらみ、そむける色を、あら(顕)はすべからず。
云いわけする事あらば、時すぎて後、謝すべし。或(は)別人を頼みて、いはしむべし。
十分に、われに道理なくば、云いわけすべからず。
和俗童子訓 巻之二
総論 下
養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P233
子曰わく、父母に事( つかえて )は幾( ようや )くに諫め、志の従わざるを見ては、また敬( つつし )んで違( たが )わず、労( うれ )えて怨みざれ。
~中略~
先生がいわれた。
「 父母のおそばで用事をしていて、誤りを見つけたときには、まず遠まわしに諫言申し上げよ。
諫めをとりあげられない意向と察したら、つつしんでこれに違背しないようにし、
心の中では憂慮していても、怨みをいだいてはならない」
里仁篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P105
わたしたちは、「何かをしようとしている」としょっちゅう口にします。減量であったり、運動であったり、職探しであったり。
でも、ほんとうのところは、しているのか、していないのかどちらかなのです。「しようとしている」というのは言い訳に過ぎません。
何か事を起すには、最低でも一〇〇パーセントの力を出して実現のために努力しなくてはなりません。一〇〇パーセントの力を出す覚悟がないなら、目標が達成できなかったとき、責めるべきは自分しかいないのです。
言い訳は無意味、専門的に言えばたわ言である、とバーニー(住人注;スタンフォード大学の機械工学教授バーニー・ロス)は教えています。
人は、するべき努力をしなかったという事実を繕うために言い訳をします。
~中略~
できなかったことの言い訳や理由は、「もっともらしく」聞こえるなら、社会的に容認されるとバーニーも認めています。しかし、人に対して言い訳をしなくていけないと感じたとしても、自分自身には言い訳をしてはいけません。
20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ (著), Tina Seelig (原著), 高遠 裕子 (翻訳)
CCCメディアハウス (2010/3/10)
P193
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