地震は大地だけでなく政治も動かす。教科書にはない真実を書いておく。豊臣政権の崩壊は、実は伏見地震が引き金になっている。自身のせいだけではないが、地震後のかじ取りのまずさで豊臣家は滅亡した。
地震時、豊臣政権下の大名たちは朝鮮出兵で疲れ、困窮して、不満をつのらせていた。このままでは甥のかんぱく秀次に政治の求心力が移る。秀吉と三成はそれを警戒した。
先手を打って、秀次とその妻子側近をまるごと処刑。それで家族を殺された大名が続出。多くの大名たちが朝鮮出兵の不満とあいまって、秀吉・三成に怨みの目を向けた。
そこへ伏見地震がきた。ところが、秀吉は地震で崩れた自分の居城=伏見城をもっと豪華に再建せよ、同時に朝鮮に再度攻め込めと命じた。
豊臣から徳川へ心が移りはじめたきっかけは地震であった。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P31
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
- 作者: 磯田 道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
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