「試験に合格しようが、残念であろうが、どちらも自分の人生を豊かにすることができたならば等価値だ」と思えるようになればいいんだなと、思ったんですね。
~中略~
その人が自分にとって心地よいことを言ってくれようが、そうでなかろうが、やはりどちらも意味があることなんです。
気に障ることを言われて、まだそこで苛立っているようならば、「自分は未熟な人間だと教えてくれた、自分にとって価値のある人である」と思えばいい。
「万物全て、これ師たらざるものなし」のように、どんなに嫌な人でも、まだ、自分が成長過程にあることを教えてくれる師だと、理屈で考える訓練を繰り返していったんです。
結果的に本当にそう思えるまでに10年かかりましたね。
“司法試験流” 知的生産術
伊藤 真 (その他), 野田 稔 (その他)
NHK出版 (2012/1/25)
P86
“司法試験流” 知的生産術 2012年2月 (仕事学のすすめ)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/01/25
- メディア: ムック
つまり本は結論を書いているものではなく、自分で結論に辿り着くための道具です。
私自身は本について、「本屋さんとは、精神科の待合室みたいなものだ。大勢の人(著者たち)が訴えを抱えて並んでいる」と思っています。
~中略~
そう考えると、つまらない本というものはあまりなくなるのです。どんなに自分と異なる考えの本でも、「この人、どうしてこんなつまらないことをわざわざ書こうとしたのか」を考えることが出来ます。なぜ、つまらないのか、どう書いたら面白いのかとか、そういうことを考える材料になります。
実はこれは本に限った話ではありません。人と接する際でも同じことです。
「この人、なぜこんなに怒っているのか」「なぜこんなに不機嫌なのか」と考えていれば、好き嫌いがあまりなくなるものです。
養老 孟司 (著)
養老訓
新潮社 (2007/11)
P51
0 件のコメント:
コメントを投稿