朝鮮動乱は、平壌を首都とする朝鮮民主主義共和国にとっては祖国解放であり、ソウルを首都とする大韓民国にとっては被侵略戦ということになるかもしれない。
一九五〇年六月二十五日、北方から三八度線を突破して南下した朝鮮軍はわずか三日でソウルを占領し、一週間で韓国軍主力を壊滅し、さらに、一カ月余で国連軍を釜山まで追いつめた。
その後、米軍を主力とする国連軍が仁川に上陸し、ソウルを回復して平壌まで攻めこみ、さらに北進したところ、この年の十月末、にわかに中国義勇軍が朝鮮軍に参加することによって戦勢が再逆転し、国連軍はふたたび潰走して一度は奪還したソウルを再放棄し、南方に退却した。
事実上の米中戦争であったろう。
一九五〇年六月二十五日、北方から三八度線を突破して南下した朝鮮軍はわずか三日でソウルを占領し、一週間で韓国軍主力を壊滅し、さらに、一カ月余で国連軍を釜山まで追いつめた。
その後、米軍を主力とする国連軍が仁川に上陸し、ソウルを回復して平壌まで攻めこみ、さらに北進したところ、この年の十月末、にわかに中国義勇軍が朝鮮軍に参加することによって戦勢が再逆転し、国連軍はふたたび潰走して一度は奪還したソウルを再放棄し、南方に退却した。
事実上の米中戦争であったろう。
街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P197
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