およそ、人を認識するにしても、教育するにしても、また優秀な人材に仕立て上げるにしても、教官の器量が英雄に価すれば、英雄を知ることができ、聖賢の域に達していてこそ、はじめて相手が聖人・賢人であることを認識できるものであります。
器量を小さい凡人の身で、英雄・聖賢の資質を秘めた者を見出し、これを立派に養成し、仕立て上げるなどということができぬものであるというまでもありません。
ただ今の藩校の状況では、もし並々ならぬ才能を秘めた人材がいたとしても、教官側からこれを見抜いて意のままに指導し、畏敬の念を抱かせ、学徳をもって感化するなどのことはできるはずがなく、恐らく、かえってその者から教官側の力量を見すかされ、あなどられ不遜な態度をもって振る舞われるといったことも、生じかねません。
そしてそのような事態に立ち至れば、教官の威信は軽くなってしまい、教官の心中に怒りや道理にもとる感情が、盛んにわき起こってくることと思います。
教官がそのような不安定な心で学生に接すれば、せっかくの意志強固でこせこせしたところのない優秀な人物を抑えつけ、そののびのびした精神のはたらきを妨害する好ましくない結果を生じ、大切な人材をきず物にし、指導のいかんによっては、正しい方向へ導くことのできる心を、かえって邪道へと追い込んでしまうものと思います。
意見書
P191
我が国において儒学に志し、国を治め民を救う大きなはたらきに関して、学問上から卓越し確固とした見識を示し得た学者は、慶長・元和年間、すなわち徳川幕府草創のころより今日に至る二百五十年ほどの間に、熊沢蕃山・新井白石・頼山陽など、わずかに数人を数えるのみであります。
元来、儒学者が学問に志したのは、天下のために有益な事業を起そういう、深い思慮や遠大な志があったためではなく、また万一、そうした思慮や志あったとしても、晩学であったり身分役職が低かったりして、自分一人の力では志を遂げられぬことを悟り、何とか非常に優秀な門人を養成して、その者に自己の宿願を果たせたいとして、研鑽を深めている訳でもありません。
~中略~
従って、それらの儒学者は、口でこそ国家を治めるにはとか、天下を太平の世にするにはなどと申していても、実はなんの識見も持っておらず、まして実際に国を治め、民を救う上で、施行可能可能な確たる見解など持ち合わせておりません。
彼らの学問とは、あたかも酒のかすをなめているようなもので、古(いにしえ)の聖人・賢人の教えをただ文字の上だけであれこれいじくり、一人でうっとりしているに過ぎず。古聖賢の言葉を少々暗記して口真似しているだけのこと、いわば鸚鵡芸(おうむげい)とでも称すべきものであります。
どんなに利口ないい回しも、精神のともなわぬ口真似では、人に向かって説き諭し、その論旨を充分に理解させ、あますとこなく行き届かせることなど、できようはずがありません。
まして、優秀な人材を育成し、これを世に送り出して活躍させるまでに仕立て上げるには、単に文字や言葉の上だけのことでは、何の効果もあがりません。
まず第一に、教官自身に衆人にすぐれた行いがあり、人々を心服させ、その耳目を驚かすほどでなくては、これはとてもかなわぬことであります。
~中略~
右の通り、教官が聞く人の心を動かすほどの卓越した識見を示すことができず、また他の人々には及ぶこともできぬ、すぐれた節義を堅持している訳でもない以上、一般人と競い得るところは、わずかに学問上の言論・談義と経書に関する文字上のことくらいに過ぎず、明らかに優越している部分はないに等しいといわねばなりません。
従って、君子たる資質を秘めた学生は、教官を敬い慕い、その得を仰ごうとする心を起そうにも、起しようがなく、小人物の器量しか持ち合わせていない学生でさえも、教官に遠慮したり、畏れひれ伏したりすることがありません。
P204
従って、一時の粉乱による苦労を厭われますよりは、今後永遠の成功に御着眼いただきたく、よくよく考えてみますに、目下藩内諸機関に内在する弊害はいろいろでありますが、まずその根本を清くするとなれば、藩内子弟の 教育と感化とを推し明らめることが、もっとも重要であると存じます。
そのためには、学校の運営を正しくすることが急務であり、その学校の盛衰や水準の高低は、ひとえに教官の良否にかかわること、当然の道理であります。
意見書
啓発録
橋本 左内 (著)
講談社 (1982/7/7)
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