法律や医術のように聖職禄のない職業においても、もしも聖職の場合と同じ割合の人々が、公共の費用で教育を受けるならば、競争がやがて激しくなって、これらの人々の金銭的報酬を大きく引き下げるほどになるだろう。
そうなると、 だれでもこれらの職業のどれかのために自費で息子を教育する価値はなくなるだろう。したがって、これらの職業は、そうした公共の慈善的事業によって教育された人々の手にすべてゆだねられ、そしてそのような人たちが多数で、しかも窮乏しているために、かれらは一般に非常にみじめな報酬で満足しなければならなくなり、そのあげくは、現在尊敬されている法律や医師かんする職業も、まったく格下げされてしまうであろう。
そうなると、 だれでもこれらの職業のどれかのために自費で息子を教育する価値はなくなるだろう。したがって、これらの職業は、そうした公共の慈善的事業によって教育された人々の手にすべてゆだねられ、そしてそのような人たちが多数で、しかも窮乏しているために、かれらは一般に非常にみじめな報酬で満足しなければならなくなり、そのあげくは、現在尊敬されている法律や医師かんする職業も、まったく格下げされてしまうであろう。
国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P219
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